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カナダドラマ「アンという名の少女」

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今、NHKで放送中の海外ドラマ「アンという名の少女」を毎週見ています。

カナダで制作されたドラマなので、てっきり「赤毛のアン」かと思っていたのです。

見てみて、何というか、「赤毛のアン」の設定をなぞっている別のドラマになっていました。

 

とにかく、ヒロインの「アンという名の少女」が性格が悪すぎる。見ていて共感を覚えないのです。実写版だとアンはこんなに醜い子なのかな、というくらい見た目も可愛くない。映画版はそれほど醜い女優さんを使うことがなく、可愛らしく収まっていました。

 

このドラマは台本が悪いのか、ストーリーがいただけない。やけに現代風になっているし、余分なアクションが入りすぎて、本来の「赤毛のアン」の良さがないのです。これを制作した人達は一体何を描きたかったのか?

赤毛のアン」は日本のドラマ区分では時代劇とか明治時代を描いた作品というところに当たると思うのです。それをそのまま映像化しては現代の視聴者に訴求できないという事で、現代でも「赤毛のアン」の時代でも共通の問題をクローズアップして、エピソードも現代人にアピールする様にしているのかもしれませんが、成功しているように見えない。「赤毛のアン」の世界観にそぐわないのです。

赤毛のアン」という物語のアン・シャーリーは、生まれてすぐに当時の流行り病で両親を亡くし、その後は孤児院と引取先の家庭で育ちます。引取先も子供として引取るのではなく、子守や家事手伝いの労働力として迎えているわけで、家族とは違います。そんな過酷な状況下でも懸命に生きていたアンが、手違いから迎えられたグリーンゲイブルズで、やっと温かい家族を得て、新たな人生を切り開いていく成長物語です。もちろんそれだけではなく、独身で子供のいないマシューとマリラという兄妹がいかにして子供を育てていくかや、マリラの母性の成長、周りの人々との交流、当時の女性たちの地位や学業の問題、バックグラウンドによる差別など、考えさせる内容や心温まるエピソードが沢山含まれているのが「赤毛のアン」の物語です。

このドラマではそこから問題点だけ抜き出して、「ほらほらこんなに大変でしょう、でもアンは負けずに立ち向かっていくでしょう」と押し付けてくるような作り。なんだか製作陣の押し付けを感じて嫌な気分になります。なにも現代の問題を盛り込まなくても、単純にオリジナル小説をそのまま映像化すれば良かったのではないのか。もし、現代と共通の問題を描きたいなら、多くのファンを持っていてその世界観を愛している人々がいる「赤毛のアン」を下敷きにせず、オリジナルドラマにすればよかったのではないのか。「赤毛のアン」を下敷きにするなら、いっそのこと時代設定を現代にすれば、もっと製作陣のやりたいことがダイレクトに伝わってくるのではないか、と思います。多分、この中途半端感が気持ち悪いのだと思うのです。

 

たまたま現在、随分以前に放送されたアニメの「赤毛のアン」をTOKYO MXで放送しているのですが、そちらが完成度が高いので、ついつい比べてしまい、やはりアニメ版の素晴らしさを再確認します。

 

とは言え、実写版はとにかくグリーンゲイブルズが美しい。こんなにステキなお家なんだ、とため息。グリーンゲイブルズの広大な畑や果樹園、家畜も沢山飼っているし、田舎家の風景はどれも美しく、豊かな農家なんだなと感じさせます。マリラの着ているブラウスも地味なグレーながらよく見ると細かいタックが入っていたり、袖の肩のところが少し立ち上がった作りになっていたり、ステキなデザイン。風景も言うことなしです。このドラマのマリラ役の女優さん、まさにマリラが立ち現れた感じです。実写にするとマリラってこういう感じなんだ、と。

 

「アンという名の少女」は、「赤毛のアン」ではない別の話なんだなと思って見ています。アボンリーの自然の美しさを見られるのが、素晴らしいドラマです。

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📷 アニメ「赤毛のアン」の切手に付いていたおまけの部分。アボンリーの駅に着いて迎えを待っているアン。