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「ソーシャル・ネットワーク」を見ました。

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ソーシャル・ネットワーク」を見ました。
 
と、言っても飛行機の中で2度ほど。
 
ひとことで言って面白かったです。お勧めです。久々に映画らしい映画を見たように思います。何というか、2時間の間にぎゅっとエピソードが詰まって、見ごたえがある人間ドラマが展開されていく。
 
これは、全世界5億人以上のSNSFacebook」誕生の物語。
一人の若きコンピュータの天才の物語。
時代の転換期に、台風の目の周りで右往左往する人々の物語。
成功と裏切りと喪失の物語。
なにより青春の物語。
 
映像自体、派手な演出はなく、ストーリィーもいたって地味。しかし、展開が速く、疾走感がある。若いエネルギーで、思い立ったら突っ走るような感じの作り。インターネットでの情報の広がりの速さもイメージさせる。成功の絶頂と思わぬアクシデント、その合間に訴訟のシーン。地味だけど、物語の舞台はとても今日的で、描かれるのは何万回も映画でもお芝居でも描かれてきた、人間関係の古典的内容。
 
主人公のマーク・ザッカーバーグはコンピュータおたく、ハッカー。自信満々だが、人の気持ちを汲むことはできない。頭が良くて、周りがバカに見えてしまうのかも。友達はわずか。でも天才。
本物のマーク・ザッカーバーグは、映画よりはるかにフレンドリーらしいですが、これは映画ですから、主人公の性格を際立たせるようにかなり極端。とにかく、頭の良さが鼻につく感じの演出。
 
こんなに人付き合いが苦手で、自分にとってこんなのがあったらいいよね、と作ったのが「Facebook」だと思うのだが、人をあおってその気にさせるのは上手。友人の金持ち息子エドゥアルドを上手にまるめこんで初期投資をさせて「Facebook」の前身をスタート。あっと言う間に人気を呼んで、一大企業になっていくわけだけど、人気がある所に人も集まり、金も集まる。「ナップスター」のショーン・パーカーと出合ったのも、事業を拡大する契機になり、最初から一緒だったエドゥアルドを裏切ることにもなる。エドゥアルドはもはや、彼らの速さについていけない。
彼らはゲイではないが、マークとエドゥアルド、ショーンとの関係はマーク=Facebookをめぐる男同士の三角関係にすら見える。
 
マークは個人的にはお友達になりたくないタイプだけど、その孤独はひしひしと伝わってくる。多分、いくらにぎやかに騒いでも、いくら人気者になっても、彼を理解できる人はめったにいない。わずかな友人でさえ、エゴから裏切ってしまったのだし、「Facebook」がいくら成功を収めても、いくら金持ちになっても心は満たされないだろう。
 
「社交が全てさ」と言い切るマーク。その社交のためのツールである「Facebook」なのに、上っ面の社交生活では幸せは感じられないのではないか。友達がほしい、理解してくれる人がほしい、という思いがきっといつもマークの中にあって、現実の生活では得られない社交をPCの中で構築してしまったのが、「Facebook」なのかもしれない。
 
人間の心の中にいつもある二律背反を映像で「はい、どうぞ」と見せられたような気がする。
「社交こそ全てさ」という社交についても、インターネット時代の社交は、もはや前時代の社交とは違う。もっと希薄なつながり。それでいて前時代よりも繋がる事を切に求めているような気配。
 
ソーシャル・ネットワーク」とは、この映画を一言で言い表すうまいタイトルだ。
 
内容の濃い作品を若手俳優が彩り、そちらも楽しめる。
この映画を見て、時代の空気を感じるのもよいと思う。