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権力を手中に収めたFBI長官の光と影 「J・エドガー」

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2月8日(水)に、一時間仕事を早引きしてクリント・イーストウッドの新作「J・エドガー」を見てきました。
 
FBIの生みの親であり、50年近く長官として君臨し続け、アメリカの影の実力者と言われたフーバー長官の話です。
 
最初、クリント・イーストウッドの監督作品にレオナルド・ディカプリオ主演、と聞いてちょっと違和感があったのですが、ディカプリオで正解。フーバーの20代から最晩年の77歳までを見事に演じきっていて、特にじいさんになってからのディカプリオが素晴らしい。映画の最初から、声が違う、しゃべり方が違う。年配になったあたりは、なんだかジャック・ニコルソンに似ているような・・・。
 
タイトルの「J・エドガー」って、FBIのフーバー長官のことだって、多分日本人の大半は知らないですよね。もちろん私も知りませんでした。ではなぜこの映画のタイトルは「フーバー」じゃないのか? 何故、「J・エドガー」なのか?
 
この映画はFBIのフーバー長官の伝記とは、ちょっと違うんです。公人としてのフーバーの顔の裏に隠れている、私人であるJ・エドガーの話なのです。もちろん一人の人間なので、表があっての裏の顔、裏に支えられた表の顔、なわけですが、多分イーストウッド監督が描きたかったのは私人としての「人間J・エドガー・フーバー」という一人の興味深い男の姿と心なんでしょう。
 
フーバー長官と言えば、それまで弱小組織だった捜査局をFBIというエリート集団に育て、犯罪捜査に科学捜査を取り入れたり、現代の犯罪捜査の基礎を作り上げたという功績が認められる人だそうです。その一方で、人種差別主義者であり、盗聴によって得た有名人の秘密を握り、大統領のスキャンダルも掌握して、影から政局を操っていた人物とも言われます。
 
そんな有能で悪辣なFBI長官が、その裏の顔では誰も信じられず、信じた人間だけを側においてまるでファミリーのようにして仕事をしていたのは興味深い。秘書のヘレン・ギャンディも公私共にパートナーだったクライド・トルソンも、信じたら一生を共にするような付き合い方。やり手で尊大な表の顔の裏で、手柄を立てた部下の評判を妬むような小さなところのある男。英雄たらんとして、事実を都合の良いように書き換えてしまう偏狭な心の持ち主。親しい人間には「ジョン」ではなく「エドガー」と呼ばれるのを好む男。母の影響を強く受けて育った結果、世間的に成功するために同性愛者であることをひた隠し、作り上げた虚像を演じ続けた息子。
 
公私共にパートナーであったクライドとのシーンは切なかったり、ほのぼのとしていたりで、この映画の見所の一つになっていると思います。休暇に行った先のホテルでの大喧嘩は、同性愛者であることを隠して生きているエドガーと、周りに公言してはばからないクライドの生き方の違いがぶつかり合い、愛するがゆえに大喧嘩。もう、これは男だとか女だとか、同性愛者だとか、そんなことはどうでもよいことなのです。
 
権力を手中にしながら、限られた人しか信じられず、孤独なエドガーを支えるクライド役のアーミー・ハマーは、ディカプリオと並ぶと、すごくしっくり来る。ディカプリオ自体183cmくらいは身長があったと記憶しているのですが、それより背が高く、痩せ型の美形。これまた、一緒に年をとっていくので、輝くような美青年のところから、じいさんまで。体調の悪いクライドの家で、二人で食事するシーンは、まるで老夫婦。いたわりあう長く連れ添った夫婦のような風情です。エドガーが亡くなったと連絡が来て、飛んで行ったエドガーの寝室で、その遺体をベッド・カバーで覆う姿は痛々しい。本当にエドガーを愛していたのだな、としみじみ。
 
とにかく、これはFBI長官の伝記映画ではなく、権力を手中に収めた一人の男を人間として色々な角度から描いた作品です。人間研究として面白いし、今までにないディカプリオを見られます。彼はいい役者になりましたね。