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J・K・ローリング 著 「カジュアル・ベイカンシー」 問題山積みの小説

ここ一週間ほど「ハリー・ポッター」のJ・K・ローリングの初の大人向け小説という「カジュアル・ベイカンシー」を読んでいました。上下巻で約800ページ。
 
 
あらすじ
イギリスの田舎の町パグフォードでバリー・フェアブラザーが40代の若さで死んだ。彼は町の地方自治組織議会の議員で、隣町ヤーヴィルとパグフォードの境に位置する低所得者住宅フィールズをめぐって、議長のハワード・モリソンと激しく対立していた。バリーは高校の女子ボート部のボランティアのコーチでもあった。誰にでも開けっぴろげで思いやりがあり、慕われていたバリーの死は議会に「カジュアル・ベイカンシー ( 偶発的な空席 ) 」を作る事になり、その空席を廻って3人の立候補者が現れる。
バリーの死から始まる、小さな町の人々の間の連鎖的事件の数々は、やがて全てが合致した結末へ向かって進んでいく。
 
 
先に言っておくと、私は「ハリー・ポッター」のファンで、俗に言うポッタリアンです。もともとJ・K・ローリングという作家は子供向けの「ハリー・ポッター」でスタートしただけあって、すごく読みやすいので、800ページはあっと言う間に読み進めます。しかしながら、この「初の大人向け小説」は、何だか気負った感があり、なんでもてんこ盛りに入れてみましたという感じの小説です。一応、社会派の小説なんだろうとは思うのですが、あれもこれもで焦点がぼけていてイマイチぱっとしないのです。
 
とにかく登場人物が多い。最初、誰が誰とどういう関係なのかがよく判らず、よくドラマのサイトにあるような相関図が欲しいなと思ったほど。何家族も出てきて、しかもその夫婦と子供が関わってくる上、一章ごとに登場人物の視点が変わっていくので、相関図を自分の頭で描けるようになるまでは、前のページに戻って確認したりしていました。
 
イギリスというのは、昔も今も「クラス」というのがまぎれもなく存在しているようで、それは現代日本人である私にはいまいちよく判らないセンスなのですが、イギリス本国で生まれ育った人だと、この小説にあるような目に見えない差別はよく判ることなのでしょう。傍から見ると「目くそ鼻くそを笑う」的なことでも、当の本人たちにとっては大変な大問題なのでしょう。
 
その、「クラス」の問題以外に、麻薬問題だの貧困問題だの青少年の非行だのネグレストだの精神障害家庭内暴力、シングル・マザー、人種偏見、セクシャリティに対する偏見、などなどなど・・・、とにかくこれでもかこれでもかと山盛りいっぱいなのです。
 
そして、事件が起こると言ったって、殺人とかではなく、まぁ事件なんですが規模が小さくてぱっとしない。一見幸せそうな普通の家族でも、その一人一人が秘密を抱え、親子も夫婦も断絶があり、家庭としいの機能は不全に陥る一歩手前、というお話で、しかもどの家族も、というのがあまりにもシビアすぎます。弁護士、医師、高校の教師、ソーシャルワーカー、店舗の経営者、自治議会の議員と表の顔は立派でも裏の顔はまた別で、という登場人物ばかり。
 
それにしても、例えば女性探偵 V・I・ウォーショースキーが活躍する「ヴィク・シリーズ」のサラ・パレツキーの方が、その時代に起きている社会の問題を上手に物語りに織り込んでいく手法はお見事で、比べては申し訳ないが、そこまでの上手さが足りない作品になっていると思います。
 
正直に言って、心に響く、とか、心に残るとか感動とかは有りませんでした。登場人物も出てくるは、出てくるは、こうも正確の悪い人間ばかり次々と、という感じだし、中には好意の持てる人物も若干いるものの、総体的にお付き合いしたくない人々のオンパレード。
 
ハリー・ポッター」の作者が書いた、と期待して読むのは止めた方がいいと思います。そして、ローリングさんには、次回はもっと掘り下げた作品をお願いしたいです。