ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

肩書きって私にではなく相手に対して大切

今週ももう金曜日。さすがに朝すっきり起きられず。疲れ果てています。
 
肉体的には疲れていても、精神的にはかなり楽です。たった一つ働く場所があるというだけで、人間はかなり精神的には楽になれるものですね。もっとも私がアルバイトに行っている会社は、とてもゆるくて精神的に楽ということはあります。今でもあるんだ、こんなにゆるい会社、なんて思いつつ、ゆるゆるなのは好き。
 
つい先日まで、私はどこにも属していない「まっさらな私」だったのですが、今は一つ仕事の括りで属している所が出来て、対社会的には「まっさらな私」よりかなり楽になったようです。個人的には何もしていなくても私という人間は私として存在しているので特に問題はなく、世間様に対しても恥ずかしいことも無ければ、税金もきちんと納めているし、社会的にやましいこともないのです。でも、何の肩書きも無い人間に対して、世間はちょっと困ってしまうらしく、それで居心地が悪いんですね。肩書きは「○○さんの奥さん」や「○○ちゃんママ」というのも有りますね。独身子無し無職のいい年した女というのは、そういう意味では何も無く「まっさら」状態なわけです。私は私に対してOKと思っていても、周りがOKと思ってくれていないんです。それが世間というものなのでしょうが、対世間は「まっさら」にはちょっと辛いです。
 
さて、対世間に対して小さいながらも肩書きが出来たので、今までよりも少しは動きやすいかななんて思います。実質的には私自身は変わらないのですけれどね。世の中って、自分がどうあろうと、それを受け止める側がどういう態度で受け止めるかの問題なので、受け止める側に分かりやすい人は、世間を生きる意味では楽ですよね。
 
分かりづらい人間は、受け止める側に対して、ほんの少し分かりやすく見せる工夫が必要かもしれませんね。面倒くさいけれど。だって波風立てずにうまくやりたいしね。