30日(月) に、六本木のサントリー美術館で開催中の「狩野元信」展に行きました。平日なのに結構混んでいました。
狩野元信は室町時代から江戸時代まで約400年、為政者の御用絵師を勤めた狩野派の2代目で、「天才」と謳われた狩野永徳の祖父に当たる人です。狩野派は元信の時代にその絵師集団としての基礎を築いたのだそうで、それまで漢画を得意として来た画風に、大和絵の土佐派の娘と結婚することで、大和絵の真髄を探りその要素を取り入れたり、画風を3つのタイプに分けて描いたり、一大工房としての仕事をスムーズにする為の仕組みを考えたり、「狩野派」と言えば粉本での模写での練習がお決まりの様に、どこでも練習できる様にテキストを出したりと、アーティストでありながら凄腕経営者だった様です。
今回はその元信の画業と、元信の一派である狩野派の工房の仕事を見て行く展覧会です。
狩野元信は室町時代から江戸時代まで約400年、為政者の御用絵師を勤めた狩野派の2代目で、「天才」と謳われた狩野永徳の祖父に当たる人です。狩野派は元信の時代にその絵師集団としての基礎を築いたのだそうで、それまで漢画を得意として来た画風に、大和絵の土佐派の娘と結婚することで、大和絵の真髄を探りその要素を取り入れたり、画風を3つのタイプに分けて描いたり、一大工房としての仕事をスムーズにする為の仕組みを考えたり、「狩野派」と言えば粉本での模写での練習がお決まりの様に、どこでも練習できる様にテキストを出したりと、アーティストでありながら凄腕経営者だった様です。
今回はその元信の画業と、元信の一派である狩野派の工房の仕事を見て行く展覧会です。
構成は以下のとおり。
第1章 天下画工の長となる 障壁画の世界
第2章 名家に倣う 人々が憧れた巨匠たち
第3章 画体の確立 真・行・草
第4章 和漢を兼ねる
第5章 信仰を描く
第6章 パトロンの拡大
入ってすぐの所に「四季花鳥図」があり見事です。八幅のうち4幅の展示とのことですが、右側に湖だか川だかの水辺があり鴨が泳いでいる風景、その左側に何の鳥かは分かりませんが立派な鳥のつがいが岩の上に留まりさらに左には大きな松の木が描かれ、そこでは鳥が松の幹に留まって幹をついばんでいます。松の後ろには滝が描かれています。全体的には穏やかな風景に見えます。これは元信の作ですが、この他に2つ伝・元信という障壁画も展示されていて、すべて京都の大仙院方丈障壁画だったものです。
第2章では、当時の流行といいますか、憧れの中国絵画の数々が紹介されています。こういうのを参考にして、日本の漢画というのが描かれたわけですね。
第3章はとにかく驚きの「画体」なるものを拝見できます。うまいことを考えたなと感心します。絵にも書の洋に「体」があってもいいですものね。どうしてそれまで誰も思いつかなかったのだろうと思います。漢画だけでなく大和絵もモノにした元信だからこそ考え付いたのかもしれません。
第4章では、それまで扇の絵の制作は扇屋という専門分野の店だけで取り扱っていたのを、絵画工房の狩野派で出すことで、新たな商機を掴んだのだそうです。狩野派の絵などは普通は寺院や為政者が所望するような高価なものだったところ、扇にすることで広く市井の人々でも手がでる様になり、贈り物として重宝されたのだとか。また、この扇を売り出すことで狩野派の収入は安定したのだそうです。この章では扇が色々見られます。
第5章では今回の目玉のひとつでもある「白衣観音像」がボストン美術館から里帰りしていまして、そのたおやかなお姿を拝見できました。「狩野派」というと、武張っているイメージが私にはどうしても感じられるのですが、こんなに穏やかなお顔をした観音像を描いたのかというのが、ちょっと意外というか、2代目の時代だからかなとか考えてしまいます。
狩野派だからと構える必要がなく、結構気楽に見られて良かったです。私の中の狩野派のイメージが変わりました。狩野派は隔世で天才が現れると言われているようで、元信・永徳・探幽は抑えておくべきとよく言われますが、元信の才能、特に経営のセンスは現代でもすばらしいのではと思います。
見に行って良かったです。