ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

使われない物たちがひっそり眠る

世の中には使われずに仕舞われている物が山のようにあるものだなと、つくづく思いました。
 
つい数日前、生家の台所と廊下のフローリングのリフォームの為に、台所にある棚から食器を出したり、棚の上に乗っていた箱などを別室に移動させました。もう、いったいどうやったらこんなに狭い台所にこんなに多くの物が仕舞われていたのだろう、というくらい沢山の物がありまして、移動させた6畳の和室一杯に箱が積み重ねられました。
 
工事後、今度は元の場所に戻す作業があったわけですが、妹が荷造りした新聞紙で包まれてダンボール箱詰めされた荷物を解き、新聞紙を開けると「おぉっ ! 」とか「あぁっっっ ! 」とか、思わず絶叫してしまうような昔の食器が出てきました。我が家は以前は、両親と祖父母、私と妹の6人家族だったので、食器もそれぞれ6つずつあるのです。うどんを食べる時に使っていた大きなどんぶりが6つ、ラーメン用の鉢が6つ、小鉢6つ、魚用の四角い皿が6枚といったように。現在、生家には妹が一人で住んでいるだけで、どう考えても食器が多すぎるのです。それでも、とりあえず片付ける為に元の場所に戻します。
 
更に、フライパンや鍋もいくつもあるのです。しかも、大きいサイズのものが。妹が、「鍋が沢山有るから欲しかったら持っていってよ」と言うので、「土鍋ないかな ? 」と尋ねたところ、「土鍋もあるかもしれないけど、大きいと思うよ」とのこと。
 
ずっと長いこと開けなかった茶箪笥からは、小学生の頃、カップスープを飲むのに使っていたマグカップが出てきて、懐かしさのあまり、使い勝手のいいサイドボードの棚に入れ替えました。
 
「ナルミの昔のコーヒーカップのセットとかあるけど、あれはいるんだろうか ? 」と妹に勢いで捨てられそうなので、60年代風のコーヒーカップの6客セットは、私が予約。今は置く場所がないのでサイドボードに入れておいてもらいたいが、後で頂きますと宣言しておきました。
 
昔、信楽に旅行に行った際にお土産として両親に買ってきたお茶碗は袋に入ったまま保存されていました。今となっては誰も使わないので、そのまま持って帰ってきました。私が使おうかなと思って。しかし、私はご飯茶碗が大好きで、10膳くらい既に持っていて、季節や食べるご飯によって使い分けているのですが、そこに更に2膳加わると、出番は中々回ってきそうにないです。
 
こうやって、使われること無く仕舞われて保存されている物がどこの家にも沢山眠っているのでしょう。出来るだけ物を少なくして、シンプルに生きたいと思っていても、私だけでもものすごい数の食器を所有しているのが現状です。どうにかして減らしたいものの、今のところどうにもならず、せめて入ってくる物をセーブするという消極的ディフェンス状態です。使われない物はもったいないです。
 
生家は、それでも、ゴミとして出した物があり、結構すっきりしました。空き箱とか空き缶とか、古くなった乾麺とかを捨てたのでその分すっきりしたわけです。気づかないうちにゴミを溜めていたのです。時々、物の出し入れをすると、結構捨てられる物が出て良いなと思いました。