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甘い生活を目指しています。

本屋さんが無くなっていく

今日のニュースで非常に驚いたのは、新刊書を販売している書店が1件も無い自治体が全国で332市町村もあるというニュースです。自治体の1/5にもあたるそうです。
 
えぇーっっっ !!! 本屋さんが1件も無い市町村ですって !!!
 
本屋さんの廃業が増えているという話は何年も前からありました。特に個人でやっている街の本屋さんで、店をたたんでしまうケースが増えているとか。
 
私の近所でも、いつもNHKテキストを予約したり、雑誌購入に使っていた小さな本屋さんが、もうずいぶん前にお店をたたみました。そのお店の場合は老夫婦2人でやっていて、終わりのほう数年はパートのおばさんも雇っていたようでしたが、毎年ご夫婦の間で、いつ店をやめようかという話が出ていたと奥さんが仰っていました。あまり年を取りすぎてしまうと、今までやりたかったことが出来なくなってしまう、夫婦で旅行にも行きたいし、ピアノも習いたい、幸い子供たちはすでに独立していて心配ないので、ここらで閉めることにしました、とのことでした。確かに、本屋さんの営業時間は長いです。10:00くらいから夜10:00迄というお店もありますよね。
 
最近、商店街にあった教科書も扱うような中規模の本屋さんが建て替え中になっていて、廃業かしらと心配しています。まだ、建物が出来ていないので不明です。
 
本屋さんが廃業してしまう理由は色々あるのでしょうが、本が売れなくなった時勢というのもあるでしょうし、紙からITに移行した結果や子供の人数が減っていることもあるでしょうし、活字離れもあるでしょう。経営者の高齢化や書店流通のシステムの問題、万引きなども。
 
本屋さんというのはただ物を商う仕事ではないと思っています。本来なら知的な商売であるはずなのですが、最近の本屋さんは単なる肉体労働のようになってしまっている所もあるのではないでしょうか。本が売れない→どんどん新しく出す→売れない→返品。この荷解き、荷造り、出荷、入荷のサイクルが短くなり、届いた本の荷解きをしないまま返品することもある、と何かのドキュメンタリー番組で言っていました。
 
また、大型書店が増え、大型店で働いている人の大半は、肉体労働として捉えている人が増えているようで、満足に字が読めない人も増えています。出版社名・書名の漢字が満足に読めないまま働いてしまっています。正直、ちょっと呆れるくらいです。人間のレベルも下がっているのでしょうか。
 
今、大型店を中心に、街の本屋さんでも著者を招いてのイベントを行ったり、いろいろ工夫をされているようです。海外の本屋さんでは、朗読会というのを見かけたことがありました。つまり、知的発信基地として人々の集う場所になりましょうということなんだと思うのですが、書店というのは本来街の知識の発信場所だったはずなのです。それは図書館と共にそういった働きを自然と担っていると思います。
 
でも、現実は厳しいものです。そして何より、本の流通のシステムが、時代遅れになっているように思えて仕方ありません。
 
色々原因はあるのでしょうが、新刊書が買える本屋さんが1件も無い自治体は、そこで暮らしている人々は不自由をしていないのでしょうか ? もちろんインターネットでも本は購入できますが、お年寄りや機会音痴でネットが使えない人などはどうしているのでしょうか ?
 
今回の調査で、新刊書が買える本屋さんが1件も無いという自治体数で、埼玉は5つもの市町村で本屋さんが無い状態です。香川は全ての自治体に本屋さんがある唯一の県でした。東京ですら、本屋さんが無い自治体があるのですから、驚きました。
 
本屋さんはその街の知的レベルの指標だと思っています。無くてもいいお店ではありません。今、本屋さんの無い自治体では、店舗は持たなくても、注文を受けて宅配するなど、別の方法で人々に新刊書が届けられるシステムが出てくるといいなと思います。よその話だから、ではなく、明日はわが身かもしれません。本を読まない国民を擁している国は、明らかに国力を落としていくことでしょう。