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大相撲春場所中止

大相撲春場所、巡業中止。しかも本場所の無期限中止もありうるとか。
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すごく残念です。相撲ファンとしては残念でたまりません。私にとって「一年の中の負の月のお楽しみ」だったのです。お年寄りのファンも多く、残念に思っている方も多いでしょう。
 
今回の事件で、色々な意見が聞かれました。
 
なにを今更派は、
「相撲で八百長が行われていたのなんて、今に始まったことじゃないでしょう」
「だいたい相撲って、いつからスポーツになったの ?」
私の職場のおじさんも「客が弁当食べて酒飲んで見てるのに、真剣にやってるのがバカらしいと思うのもいるよな」と言っていました。
 
厳しい見方の方たちは、
「膿を出して出直すのは当然」
「物証が出ている限り、春場所中止はやむをえない」
公益法人認定を取り消すべきだ」
などなど。
 
相撲というのは、今の時代、「あり方」が難しいもののひとつです。明らかに、今の時代とフィットしていない、特殊な世界です。だって、未だに髷を結っている世界なんですから。スポーツなのか、格闘技なのか、エンターティメントなのか、その全てでもあり、とにかくこれぞ、と一言で言い表し難い「国技」が相撲です。
 
たしか昔、神様の前で国とか村とか代表の力持ちが相撲をとってみせる、というのが神様へのおもてなしだったようで、そこから相撲はおめでたいこととなったようです。神様の話に出てくるとなると神事でもあるのでしょう。実際、土俵入りの際に清めの塩をまいて拍手を打ちます。
また、日本は栄養事情があまり良くない時代が長かったので、よく太った体の大きな力持ちは、それだけで福福しい存在と見られたようです。とにかく歴史が古く、各時代に発展してきたようです。当初は力比べで力持ちがご祝儀を得たり、宮中などで開催されたり、江戸時代には力士はスター的存在として扱われたりという長い歴史の末に現代の相撲があるわけです。
 
相撲で「心・技・体」と言いますが、時代が変われば力士の気質も変わるものです。最近は大型力士の力で押し切るような相撲が多く、技より力、という感があります。毎日稽古を積んで、技と体は獲得できるでしょうが、「心」が着いてこないのが現代なのかもしれません。こんなに情報が多く、他にも楽しみや遊びや誘惑の多い時代、前時代と同じようなことそのままやれないのもわかります。それは、相撲に限らずどの業界も同じです。しかし、相撲がその歴史からしても神事であったり、今の日本の中でのポジションが「国技」であったり、スポーツのひとつであったり、という点と特殊な競技である点は、角界に籍を置く限り、最低限、認識していなくてはならないことです。そして、日本の競技はとにかく「道」が付くような、心構えが重視される世界で、何でも勝てばいい、というものではないのがポイントです。だから、「心・技・体」と「心」が一番先に来ているのだと思います。
 
難しい複雑な競技をする団体に身を置いている、という認識があれば、誇りと共に自分を戒め競技の公正さを重視できたでしょう。そして、力士が仕事、と考えてしまうと待遇面などに不満がでるのは当たり前で、「仕事」ではなく「力士たる存在」と自分を定義づけなければ、なかなか「心」は付いてこないかもしれません。
現代のような時代ですから、それはすごく難しいと思います。ただ、力士とは、望んで誰でも成れるものではありませんから、ある種選ばれた存在です。選ばれた段階は、まだ「力士」の入れ物が出来ただけで、その中に色々入れて本物の力士になっていくのでしょう。だから、こういう事件は本当に残念です。
 
「心を育てる」とか「心の教育」という言葉もありますが、心は自分本人で育ててやらないといけない部分だと思います。そしてプロは「心」もきちんと入っている人たちです。それは、他の仕事をしている人も同じで、何をしていても「心・技・体」は付いてくるものです。
 
いったい春場所中止・春巡業中止で済むのか、いつ再開されるのか、決着はどうなるのか。この機会ですから、膿を出し切って、さっぱりとして出直して欲しいです。規模が小さくなったとしても、ファンは待っていると思います。
 
私個人としては、魁皇の史上最多記録があと10勝なので、どうにか頑張ってもらって達成してもらいたいしそれを見たいのです。魁皇は今38歳なので、大相撲本場所中止が長引くと、その記録が達成されないのではないかというのが気が気でないのです。
 
角界は早く立ち直ってもらいたいものです。
 
 
♪写真は歌川国吉の浮世絵「湖東山文右エ門 ( ことうざぶんえもん ) 、岩見形丈右エ門 ( いわみがたじょうえもん )」左が大関の湖東山、右が関脇の岩見形。