電車の中でちょっと嬉しいことがありました。
毎朝利用するJR御茶ノ水駅の構造は最低で、駅の改札の一つが電車の進行方向の一番前にあります。電車の中では、その改札を利用する人で急ぐ人は電車の最前ドアから降りたくて、一番前のドア周辺は常に混んでいます。
ドアが開く少し前はドアの前はお団子状になるのが常。みな、我先に、という感じなのです。で、時々、先に自分が出ていいのか、その人が先に出るのか、みたいな同時になってしまい、お互いにもじもじってことないですか ?
今朝もそうだったのですが、その人はサッと黒い手の平を上に向けて「お先にどうぞ」のポーズ。私は「おっ」と一瞬驚いたものの「ありがとうございます」の目礼。でも相手には伝わったと思います。ほんの一瞬の出来事でしたが、心が温かくなりました。
私は、その電車に3年近く乗っているのですが、そんなスマートに先をゆずられたことは今回初めてです。品のいい黒人の30才前後のスーツ姿の男性でした。
それが彼の育ってきた文化では当たり前のことだから、と言ってしまえばそれだけかもしれません。でも、最近の日本人、とくにスーツを着ている男性陣には先をゆずるとか、人の通る邪魔をしないとか、ちょっとした人として当たり前のことが欠けている人が多いように思います。
社内で、「妊婦です」と判るようにとのマークをバッグに付けた女性が立っていても、席を譲るスーツ姿の男性は見たことがありません。たいてい女性か、男性だったら学生風の若い人か逆にその女性の父親くらいの年代の方かのどちらかです。
働き盛りと言われる年代の男性は、親切が足りないようです。こんなご時世ですから、仕事が大変なのかもしれません。家庭が上手くいっていないのかもしれません。でも、人間として、ほんの少しの親切をするくらいの精神的余裕が欲しい。子供ではない世代なのですから。むしろ手本を示すことで、若い世代を指導する年代なのですもの。
私は日本にも相手を思いやる素敵な習慣が、以前はあったと思っています。今だって、その習慣がある方は確実に存在しているはずです。でも、どうも昨今は自分のことしか考えていない人が増えていて、自分だけよければいいようなのです。
他者のことが考えられるというのは、やはり精神的に余裕があるということ、精神的に大人だということです。漠然と年をとるのではなく、精神的にも成長した大人になりたいですね。