ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

「英国王のスピーチ」を観ました

ことしのアカデミー賞主要四部門に輝く「イギリス王のスピーチ」を観ました。
 
イメージ 1
アカデミー賞に輝く」とかでなくても、観る予定ではあったのですが。
別に賞をもらつたから観る訳じゃなし・・・とか言いつつも、いざ観てみるとなるほど、アカデミー賞のみならず、あっちもこっちも色々受賞しまくっているようです。
だって、賞をいただくような出来栄えです。
 
それにしてもイギリス映画というのは、こういう感じの作品を撮ると、実にいいですね。美しいし、作りがしっかりしている。出演者も地に足のついた実力派の役者さんで固めて、地味な話をじっくりと味わい深く描いています。
この作品で主演男優賞をたくさん獲っているコリン・ファースを初め、吃音症治療のエキスパート役のジェフリー・ラッシュ、バーディ ( のちのジョージ6世 ) の妻役のヘレナ・ボナム・カーターともに素晴らしい演技。ヘレナ・ボナム・カーターはこのところかなりダークなイメージの役でお見かけしていたので、こういったまともな役はむしろ新鮮だし、やっぱりこういう正統派の映画に出ると映える。
 
イギリス王室の王座をめぐるドロドロとかはなくて、一人の臆病な悩める男の成長物語として描いた点が、観るものに共感と感動を与えるのだろう。王としての現実から逃げるわけにいかない臆病で心優しい男が、自らのコンプレックスを克服して、国民に期待される王となろうとする姿は、胸にせまる。応援したくなる。
人間だれしもコンプレックスを何かしら抱えて生きているのだが、出来れば、そんなの見たくもないし、克服どころか逃げていたいのが本音というところ。人に知られたくないし、知られたら恥ずかしい。
でも、この男は立ち向かった。立ち向かわざるをえなかった。
初めて治療師のライオネルを訪ねた妻エリザベスとの会話がバーデイのつらい立場を表している。
「仕事を変えたらいい」
「夫は国王なのです」
 
こうして始まった治療を通して、彼は王室の一員という役割だけではなく、彼個人としても成長することとなる。
最初はぎくしゃくしたバーディとライオネルの関係だったが、徐々に効果が出てくると、バーディーも徐々にライオネルに心を開いていく。
 
父のジョージ5世が崩御した後、訪ねたのはライオネルの所だ。バーディーはなんて孤独な男だろう。王室の一員といて、常に周りからは丁寧に扱われ、それは特別のことであって普通の人間関係ではない。家族以外で唯一彼のことを「Sire(陛下)」と呼ばずにバーディーと呼ぶ男。そんなライオネルだから、バーディーは父が亡くなった時に訪ねたのだろう。父ジョージ5世との関係は、愛憎悲喜こもごもであったろう。その強い父によって、ひたすら自分の内側に入り込んでしまったバーディー。父に兄のように愛されたかったという気持ちと、大きな重石が取れた開放感と、今後の王室の行く末の不安感がない交ぜになって、きっと一般人のライオネルを訪ねたのだろう。
 
吃音治療を通して、一人の男が成長して自分を取り戻し、さらに今の自分を超えて、より大きくなろうとする姿を、心のひだまできめ細かく描いていく。
 
子供時代の辛い出来事、王になる予定なんてなかったのに、突然王になってしまった運命。王として国民を鼓舞しなければならない立場。彼は逃げたかっただろうが、逃げられなかった。とどまらなければならなかったので、勇気を振り絞った。吃音症の王にとってスピーチは恐怖だ。しかも、時代はドイツとの戦争目前。王としてのつとめは国民を勇気付けること。
もう、このスピーチに臨むシーンは、ちょっとしたサスペンス。観ているこちらがはらはらどきどき。彼を支えてきた妻エリザベスも、子供たちも、王室の面々だけでなく、その周りの人々も、スクリーンのこちら側と同じようにはらはらしているシーンだ。
コンダクターのごとく付き添うライオネル。ラスト・シーンで国民に手を振るバーディーの姿は感動的だ。一つの山を越えた男の自信があふれる。国民に受け入れられた安堵感が感じられる。でもこれは、ほんの初め。彼はこれから何度もマイクの前に立ち、国民を鼓舞するメッセージをおくらなければならない。
 
今の自分に満足するのは簡単。現状維持でもいい。でも、更に前に進まなくてはならない時もある。新しい自分への一歩を踏み出したい人は、この映画に大いに勇気づけられるだろう。