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松島・平泉・作並温泉 バス・ツアー その3

バス・ツアーの二日目。いよいよ世界遺産に認定ホヤホヤの平泉を訪れました。
 
●平泉
平泉では、毛越寺 ( モウツウジ ) 、無量光院跡中尊寺を専門のガイドの方に案内していただきました。バス・ツアー40名が2チームに分かれて、1チームに1名のガイドさんです。私たちのチームは佐藤さんという年配の男性のガイドさん、もうひとチームは50代女性のガイドさんがついて、見所で詳しく説明してくれます。
 
ガイドさんによると、平泉が今回どうして世界遺産に認定されたかと言うと、平泉というのは奥州藤原氏三代によって作られた平和を目指した都市だったそうで、テーマは「極楽浄土」。初代の清衡は戦乱の世を生き抜いたものの、身内も味方も敵も、人ばかりでなく動物も植物も、戦乱によって多くのものを殺生してしまったのを悔いて、極楽浄土のような皆が安心して生きられる世の中を理想として都市計画をしたのだそうです。世界平和の願いというのが、まさにユネスコの思うところと一致し、そんなに昔から平和を願って都市を作っていたという点が評価されて、今回世界遺産に認定されたのだそうです。
 
最初に毛越寺を訪れました。
参道の脇に松尾芭蕉の石碑があります。
     「夏草や 兵どもが 夢の跡」
と、いう有名な俳句です。実際はこのお寺で詠んだものではなく、近くの丘で詠んだものだそうです。
 
まず本堂を拝観します。つづいて南大門跡。
このお寺のテーマがまさに「極楽浄土」だそうで、現在の本堂の所の脇には、大きな池があり、以前はその池に橋がかかって向こう岸に行けたのだそうです。池は海を意味していたとか。周りが砂浜のようなつくりになっています。その橋の向こう岸に当時の中心的な建物があったのイメージ 2
だそうです。そして、この池は見る方角で全く違った貌を見せるとか。
 
その大きな池 ( 大泉ケ池 ) をぐるっと取り囲むように、見所が点在しています。開山堂では藤原氏三代の肖像画が掛けられているのが見られます。
 
池の向こう側は、現在は当時の建物の跡地がいくつも残っていて、当時の柱の跡などが確かめられます。当時の中心的建物であった金堂円隆寺 ( コンドウ エンリュウジ ) には雲慶作の丈六の本尊の薬師如来は素晴らしい出来で、京都で作成している間、約3年間、食料のみならず山海の珍味や絹・宝物などがひきも切らず奥州から京都まで運ばイメージ 3
れたのだそうです。そして、その薬師如来の出来栄えの素晴らしさに
当時の天皇が、薬師如来像を京都から持ち出すことを禁じたのを、藤
原氏がなんとか説き伏せて平泉に運んだとか。現在は跡地のみ。残っていたらどんなにか素晴らしいでしょう。
 
遣水 ( ヤリミズ ) という、水路から池の水を引いていたのだそうです。発掘が遅れて、近年見つかったらしいのですが、この水路に盃を浮かべて、自分の前を通り過ぎる前に一首詠むという雅な遊びがあったそうです。現在も、5月に行われているそうです。
 
遣水を超えると常行堂 ( ジョウギョウドウ ) があります。ここでは宝冠阿弥陀如来が祭られています。冠を被っている阿弥陀如来は少ないそうです。そして、ここで1月には「延年の舞」という歌舞が奉納されるのだそうです。
 
さて、池をぐるっと一回り。出島があり、池中立石 ( チチュウタテイシ ) という大きな石が立っているのですが、今年の地震で石が倒れてしまったとかで、現在はささえがあります。なんか、残念な風景になっています。
 
お守りや御札をいただける売店で、このお寺独自のお茶がいただけます。しかし、バス・ツアーのため、あまりのんびりもしていられず、お守りを選ぶ暇もなく、毛越寺を後にしました。
 
まだ発掘が終わっていない為、今見ると、ただの草っぱらです。現在発掘中。
世界遺産認定の時には、当時池だったという所に水を入れたとのことで、その時の写真がありましたが、水があるとないとでは大違いです。早く、発掘調査が進んで、復元されることを期待します。
 
無量光院跡から金鶏山が見えます。金鶏山世界遺産のリストに入っているそうです。ええと、説明を受けたものの忘れてしまいました。信仰の対象の山だつたのかしら・・・。
 
見所満点です。正直言って、あまりにてんこ盛りで草臥れました。
 
まず古代蓮。四代泰衡の首が入れられた桶から出てきた蓮の種が、数年前に咲いたのだとか。現代の蓮とは種類が違うそうです。
 
宝物殿にまず入りました。でも、15分くらいしか時間が無く、走るように中を見ました。国宝級の物が色々展示されており、仏教文化・美術に関心のある方は、じっくりと行かれるといいと思います。文字が金と銀と交互に書かれている経文というのもあって、驚きました。金色堂を飾っている螺鈿細工と同じものなのか、螺鈿細工もありました。もちろん仏像も。でも、ザッと見ただけなので、次回行く機会があったら、じっくり見てみたいです。
 
そして、この日のメイン、金色堂。昔、歴史の教科書で見たことがあるけれど、本物はいかに?
金色堂は建物全体を覆う建物の中にすっぽりと納まっています。そして、戸も床も金が貼られているのです。屋根は板のようです。中央、左右に仏像群。中央に初代・清衡、向かって左に二代・基衡、向かって右側に三代秀衡と四代・泰衡の遺体が収められているそうです。四代・泰衡は首ですかね。
 
なんと言うか、タイの王宮とかお寺を思い出しました。建物自体はキンキンピカピカで、タイと似通ったものを感じます。でも中身の仏像は金色でも、とっても日本的でしっとりしている色合いに見えます。嫌なキンピカ加減ではないのです。和風とでも言いましょうか。不思議と日本の風景にマッチするキンピカ具合です。ガラスで覆われているのと混んでいるので、イマイチ仏像一体一体をじっくり見ることが出来ないのが残念です。あぁ、ついに見ちゃったって感じです。
 
金色堂以外にもいくつ物お堂があり、見所満点です。白山神社もあり、神楽殿は今でも使われており、有名な狂言師の方の出演もあるそうです。
 
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そして、平泉と言えば、源義経が兄・源頼朝に攻められた時に逃げ込んだので有名ですよね。義経と言えば弁慶。弁慶堂というのもあって、実物大の弁慶象が飾られています。弁慶が背負っていた笈 ( 背負う物入れ ) も飾られています。6尺2寸あったという弁慶は、当時は大男だったらしいです。今でも大きいですよね。
 
中尊寺を下って、道路の近くに弁慶のお墓があります。大きな石碑の脇にある帽子のような形をしているのが、本物だそうです。
 
ガイドさんが詳しく説明してくれたので、突然自分ひとりで拝観するよりは、はるかによく判ったと思います。今回のツアーには歴女ならぬ歴親父のような方が2人ほどいて、ガイドさんに貼り付いて、色々質問をしていました。