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富岡製糸場見学

5月20日(日) に、群馬県富岡製糸場に見学に行ってきました。
 
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ご存知のように、富岡製糸場は現在、世界遺産に登録すべく活動中です。明るいオレンジ色のレンガ積みの建物の写真をよく見ますが、いったいどうして世界遺産に登録すべく活動中なのか、不明なまま、一度は見ておきたいと思っていました。
 
さて、場所ですが、JR高崎線で高崎まで行き、上信電鉄に乗り換えて、上州富岡という駅で下車。駅から徒歩で10分くらい。
 
門の外には昔ながらの郵便ポストがあり、門を入ってすぐの建物がチケット売り場です。その並びのベンチのところがツアーの待合場所になっています。よく写真で見る建物は東繭倉庫で、この中に富岡製糸場イメージ 2
の歴史などの展示と要領よくまとめられた映像があり、糸をとる実演も
しています。お土産コーナーもあります。ツアーに参加したい旨、チケット売り場で伝えたところ、「出発まで時間があるので、展示と映像で事前に内容を理解しておくことをお勧めします」とのことでした。そこで、とりあえず展示会場へ。映像が流れている前のベンチは込み合っていたので、後で見ることにして、東繭倉庫を抜けて、乾燥場を先に見て、ツアー出発を待つ為にベンチへ戻りました。
 
私は13:00のツアーに参加したのですが、日曜日ということもあってとても混んでいて、2組に分かれて回ることになりました。それでも1組30名位の老若男女がおりました。年配の方も多く、車椅子で参加されていたイメージ 3
方、杖の方も同じ組に居ました。ガイドの方はボランティアだそうです。
 
さて、まず目の前の東繭倉庫を通り、乾燥場の脇を抜けると、日本庭園のような通りに出ます。そこが広場になっていて、その突き当たりには西繭倉庫があります。この倉庫は木骨レンガ造という建物です。木は近くの妙義山から、レンガはかわら職人に注文、目地も漆喰も近場で調達したのだそうです。日本でどうにかなるものは日本で調達し、日本にないものはフランスから仕入れたのだとか。ちょうつがいや鉄の扉、ガラス窓などはフランス製だそうです。レンガの積み方もフランス積みという方式だそうです。西繭倉庫の一階はトロッコが通るようになっていて、動力源である石炭置き場として使われていたそうです。イメージ 4
 
この土地自体がお城を建てる予定地だったそうで、建てる前にその班が移動になり廃藩になったため、ぽかりと残っていたらしいのです。そのため、中庭にあたる部分には立派な松の木などが植えられています。その庭に大きな貯水槽があったそうですが、今は埋め立てられています。
 
いったん東繭倉庫の外まで戻り、東繭倉庫を右に見て垂直に並んでいるのが検査人館で、生糸や機械の検査をしていたフランス人の男性技師の住居、その隣のコロニアル風の造りの建物が女工館で、女工さんに技術を教える為に来たフランス人女工の住居です。イメージ 5
 
女工館の隅くらいまで進むと、長い東繭倉庫が終わります。そこに垂直に建てられているのが繰糸場で、ここは中が見学できます。繰糸場は倉庫より長い建物で、もうひとつの端は西繭倉庫まで届いています。内部は「トラス構造」という建築方式になっていて、途中に柱が無いため、内部が広々としています。自然光を取り入れる造りになっていて、当時はここにフランス式の繰糸器が300釜も並んでいたのだそうです。内部が見られるのはここだけです。
 
富岡製糸場が始まる為、女工さんを募集したところ、人が集まらず、二回目の募集をかけましたが、やはり人が集まらなかったそうです。「あイメージ 6
そこに行くと生き血を抜かれる」という噂があって、当時としてはかなり
の高級で宿舎まであるのに不人気だったそうです。「生き血を抜かれる」という噂は、フランス人が飲むワインが生き血を飲んでいると勘違いされていたから、だそうです。人が集まらない為、各県から若い女性を出すことになったのですが、知事さんの身内の女性が多かった為、最初の頃の女工さんはおしとやかないいところのお嬢さんが多かったようです。
 
さて、そこを出て、左側には診療所があります。当時のフランスでは、これほどの規模の工場には診療所があるのが普通だったとかで、それをそのまま富岡製糸場でも取り入れたそうです。日曜は休み、というイメージ 7
のも当時のフランスの工場と同じように、日本で初めて取り入れたそう
です。
 
さらに奥に進むと、ブリュナ館です。ブリュナというのは、この工場の指導者であったフランス人ポール・ブリュナの住居で、高床式の造りで地下室はチーズやワインなどの食糧庫として利用されていたようです。一説にはシェルターになっていて、地下でお寺と繋がっていて、襲われた時には地下道を伝って逃げられるようになっていたとか。
 
この中で、東と西の繭倉庫、繰糸場、ブリュナ館、女工館、検査人館は重要文化財に指定されています。
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見学ツアーはここまでで終わりですが、ブリュナ館の奥には女工さんたちの寄宿舎があります。ブリュナ館から敷地を奥に進むと、水源としての川が流れているのが見られます。そして、ここが高台に位置しているのを初めて認識できます。さすが、お城を建てようとしていた土地です。
 
行かれる方はこのツアーに参加するのと、東繭倉庫の中で映像を見ることをお勧めします。事前に色々調べてきた人はよいのですが、知識が無いまま見ても、いったい何を見ているのか分からないと思います。ツアーでは、色々解説してくれたり、裏話をしてくれるので、いったい今何を見ているのか、きちんと認識できます。さらに映像で確認すると、現在公開されていない内部の様子も撮影されているので、より理解を深めてくれます。
 
私は、今偶然にも司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいて、時代背景が一緒なのでその時代の空気が分かり、とてもよかったです。とにかくこの時代、こんな大きな工場を建てて運営していくにも、関わっている人たちが皆若くて、「こういう工場を建てましょう」と音頭とりをした渋沢栄一も30代頭だし、指導者のブリュナは32歳、設計担当も若く、繰糸の指導に来ていた女工さんたちも若いのです。時代の熱気を感じさせてくれます。蒸気機関を利用しての工場操業は日本初だそうで、富岡製糸場は日本初がいくつもあるそうです。日本の近代化のスタート地点であったと言ってもよいような場所だったわけです。それで、世界遺産を目指しているということらしいです。
 
レンガを作ったかわら屋は、後に深谷へ移転して、東京駅舎に使われた赤レンガを焼いた工場になりました。この工場の建築費用は明治初期に政府によって建設された西洋式建物に比べると破格に安いそうで、あるものを使って建てているからだそうです。日本と西洋の融合した建物となっています。
 
明治初期、日本が外貨獲得のために輸出していた品物は8割が絹だそうです。1.5割がお茶、0.5割りが焼き物だったと説明があったように記憶しています。日本の絹というのは海外で評判がよく、日本政府としては富国強兵を掲げて、ヨーロッパに追いつけ追い越せという時代ですから、輸出できる絹をそれ以前より沢山生産したかったのです。それで、西洋式の工場を建てたというわけです。
 
ツアー・ガイドの方の説明で色々知ることができ、なるほどだから世界遺産に登録したいのが納得できました。ツアーは一時間おきに出発、約一時間をかけて回っていきます。初めて行かれる方は、参加されることをお勧めいたします。
 
建物の中を公開している場所が少なすぎるのが残念です。世界遺産に認定されると、更に内容が充実していくのかもしれませんね。
 
それにしても、明治時代の熱気というのが、今の日本には足りないようにも思いました。
 
上から東繭倉庫。
  東繭倉庫のガラス。
  女工館。
  繰糸場入り口。
  繰糸場天井「トラス構造」。
  繰糸場内部。
  ブリュナ館。
  診療所。