ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

現代の万能感 小説「紙の月」

テレビドラマで見て、良かったので原作を読みました。数年前、角田光代さんの作品は、まとめて数冊読んだことがあるものの、この作品が一番良かった。

あらすじ

結婚して数年しても子供が出来なかった梨花は、銀行にパートに出る。営業として高額預金者の自宅を訪ね、顧客の貯金の出し入れなどをするのが仕事だが、高齢者が多く、その話をいやな顔をせずに聞き、小さい頼まれごとをする梨花は顧客の間で信頼と人気を得ていった。

顧客の孫の光太は自主映画制作をしている大学生だったが、苦学生の上、借金があった。偶然、顧客の家で出会った二人は、急速に惹かれあう。梨花は、光太の借金を返済するために、顧客から預かった金を渡す。しかし、光太の借金はそれでは足りず、梨花は更に顧客の金を着服する。光太に裕福で金に困っていない自分を演出する為、今まで着た事がなかったような金額の衣服や靴を着服した金で購入して身に着けるようになったり梨花は、次々と偽の証書を発行し続け、金を着服し続ける。梨花の行動はさらにエスカレートしていき、光太との豪華なゴールデンウィークを都心のホテルのスゥイート・ルームで過ごした後、都心のマンションを借り上げる。
もう、いったいいくら客から金を着服したのか分からなくなった頃、光太に大学生の恋人の影が見えるようになる。
 
中国に単身赴任していた夫が帰国することになる。その頃、銀行で抜き打ち検査が行われることになり、休暇を取ることになったので、夫とタイのプーケットに旅行にでかけ、その帰りにシンガポールにいる友人を訪ねると告げて、そのままタイへ身を隠す。やがて、国境の町で、梨花は逃亡生活を終える。
 

「たとえ紙の月でも私には十分幸せ」と歌う「ペーパームーン」という映画があった。そこで唄われる「紙の月」は血のつながらない親子の愛だった。本当のパパでなくても、いてくれるだけで私は幸せなの・・・。
 
角田光代の描く、現代の日本の「紙の月」はお金という現代の力の象徴。若くして結婚して、専業主婦だった梨花は、子供が出来ればこの生活も変わるのだと希望を抱いて生きていたが、その希望は叶えられなかったどころか、夫は仕事が忙しく、梨花との生活は二の次と言った様子で、一人取り残されている寂しさを抱えていた。違和感を常に抱いていた。夫に、ひとりの人間として認めて欲しかった。その思いがはっきりしないまま、働きに出て、社会に認められる楽しさが彼女を仕事にのめりこませる。夫が、夫にとって都合のいい妻としての梨花ではなく、あらゆる要素を除いてひとりの人間として向き合ってくれていたら、梨花はパートにも出なかっただろうし、更に仕事にのめりこむことも無かっただろう。夫が与えてくれなかったものを、顧客の老人たちは梨花に与えてくれた。だからどんどん働いてしまった。「当てにしている」「頼りにしている」「あなたでなくちゃ」といった言葉と共に寄せられる信頼に答えるのが嬉しかったから。そう、最初のうちは。
 
ある日、ほんの気まぐれに寄ったデパートの化粧品売り場で、顧客から預かったお金を自分のものとして使うまでは。もちろん、その時は一時的に借りるつもりで、すぐに自分の口座から引き出して、顧客から預かった金を戻したが、その時に感じた開放感と充実感が忘れられない。買いたい物を考えずに購入できる幸せ。値段を気にせず買える気持ちよさ。自分は値札を気にしなくても、何でも欲しいものは手に入ると思う優越感。
 
この梨花の横領事件は若い男性に入れ込んで貢いだと報じられる。でも、それは本当だろうか ? 上っ面は光太に恋をして貢いでいるように見える。でも梨花がしているのは、自分はこんなに力があるのだ、こんなに自由で開放されているのだということを光太に見せ付けて賞賛を得ることで愛情を得ていると感じることだ。誰かに認められたいという気持ちから、光太との関係にのめりこんでしまった、哀しい女としか見えない。
 
万能感を感じる瞬間、自由を感じる瞬間、お金の力で叶えられる一瞬の幸福。それが偽物の幸福であっても、お金の力を得ることにのめりこんでいく。梨花は一人の人間として、無条件に存在を認められたかっただけなのに、それを手に入れる為には大きな犠牲を払わなければならなかった。
 
梨花が感じているゾワゾワと肌が粟立つような感じが作品全体の底辺を貫いている。男に貢いだのではなく自分が生きる為に男に金を使ったというところか。梨花の存在が危うく、切ない。
 
この小説は私たち誰でも、梨花になりうる危険を警告している。それは横領事件を起こした梨花だけでなく、買い物依存症の亜紀や節約にせいを出す木綿子も、根底は同じで、自己卑下や自己評価の低さから極端にお金を使う、あるいは貯めるという行為に走っていく。女たちはなぜ、こんなにも認められないのか。認めて欲しいのか。自信が無いのか。表面的な成功は、本当の満足ではないということを彼女たちは気づいているからだ。
 
読んでいる間、肌が粟立つ落ち着きの無さを感じていた。時に、その行為の裏にあるヒリヒリするような心の乾きをも感じた。梨花が、逮捕されることで新たに一歩を踏み出そうとするラストは、むしろすがすがしい結末だった。
 
この小説は、現代社会で疲弊している全女性に共感を持って受け入れられるだろう。