ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

Bruegel ×4

ブリューゲルって言えば、やっぱりこういう絵よね、という2枚の絵。
 
 
●The fight between Carnival and Lent ( 謝肉祭と四旬節の戦い )
 
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この絵はブリューゲルの寓意シリーズの最初の一枚。
謝肉祭と四旬節が擬人化され、戦っている。
四旬節というのは灰の水曜日から日曜日を除く復活祭前夜までの40日間を指し、荒野で苦しんだキリストに習って断食し懺悔を行う期間。断食は肉類・アルコールを断つ。
謝肉祭は四旬節前の一週間で、必ず火曜が最終日。四旬節前に、飲めや歌えのドンちゃん騒ぎをするお祭り。
大飲大食し、仮装行列をしてバカ騒ぎに興じる。
 
この絵のやけに楽しそうな左半分が謝肉祭、清貧で愛にあふれている右半分が四旬節を描いているそうで、左の樽に乗った男が謝肉祭の、右のやせた老修道女が四旬節の擬人化だそうだ。その戦いの武器は、謝肉祭が串にささった豚の頭 ( 多分、丸焼き ) 、四旬節が焼き魚用鉄しゃもじの上に乗せられた貧弱な2尾の鰊。
四旬節は宗教行事で謝肉祭は祭りなんだそうだ。
 
謝肉祭側では、樽男の周りは、楽器を奏でる連中が取り巻いている。左下では賭け事をしているし、食べ物はワッフルやパン、樽男の上あたりでは何やら玉子料理らしきものを作っている。ボロテントのようなものは、お芝居を演じているのとそれを宿屋で見物しているところらしい。遠景では輪になって踊っている男女の姿や、パレードらしい光景、樽の上にのって飲酒している姿も見られる。「あしなえ」と呼ばれる肢体不自由者たちの姿も。
謝肉祭の最中は、「あしなえ」たちにほどこしたりすることもなかったのだそうだ。
 
四旬節側では、右手に教会。その手前でほどこしがなされている。教会へお祈りに行く人、ミサを終えて椅子を運び出している一団、ろうそく売り、遺体を運ぶ人、井戸の脇の魚売り。食べ物は、プレッツェルや丸いパンらしきものが描かれている。また、老修道女がかぶっているのは養蜂用の蜜蜂の巣だそうで、節制を重んじる修道生活のシンボルだそうだ。
 
とにかく、ゴチャゴチャとにぎやかで、楽しい絵。ディティールをじっくりと見る楽しさにあふれている。まったく正反対の内容がきっちり一枚に収まってしまうところがブリューゲルだ。
謝肉祭と四旬節という行事を描くと共に、当時の風俗も一緒に描かれていて興味深い。
 
謝肉祭と四旬節は時期は接しているのに、内容は正反対で、しかも人間には両方必要。比率は人によるが、どちらの内容も人間生活には欠かせない。
謝肉祭はプロテスタント四旬節カソリックでその戦いを描いているという説もあるが、これだけ違うのだから、もめても仕方ないか、と思わせる。でも、樽男は宙を見つめているし、老修道女も破棄の無い目つきだし、この戦いはあまり真剣さが感じられず、むしろ運動会の騎馬戦のようなイベントらしきものに見える。
 
ヘンな絵だけれど、一度見たら忘れられないような魅力にあふれている。
 
 
 ●Children's Games ( 子供の遊戯 )
 
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画面いっぱい子供が遊んでいる。一枚に春・夏・秋の遊びが詰まっている。
場所は町の広場。左手の家は商家、正面の建物は市庁舎らしい。右手奥に続く道の突き当たりに、教会らしき建物が、かすんで見える。
 
とにかく色々な遊びが描かれていて、遊んでいる子供も幼児期から小学生くらいに見える。手前真ん中で車輪回しをしている男の子は12~14歳くらいに見える。左の家の前で地面に膝まづいている女の子2人も大人っぽいし、そのすぐ近くで台の上に乗って、手に模型のようなものを持っている男の子も12~14歳くらいか。
 
馬乗りとか、騎馬戦とか、馬とびとか、お人形ごっことか、花嫁ごっことか、足相撲とか、現代でも小学校の休憩時間にやっていそうな遊びが描かれていて、一つ一つ見ていて楽しい。市庁舎の周りでは、コマ回しや、木製の棒で鉄棒のようにぶらさがったり前周りをしたりしているし、目隠しして目標物を棒でたたく、すいか割りのような遊びをしているのも見られる。竹馬、棒たて子取り鬼・・・。市庁舎左奥では木登り・水泳・泥遊び・・・。
 
当時は7歳くらいから働いていて、現代のように、子供が学校に行ったり、遊んだりという生活ではなかったそうだ。女の子も10歳くらいで親の決めた相手と結婚してしまうのだそうだ。
それを考えると、12~14歳くらいかと思える少年・少女はもっと幼いのかもしれない。
 
神様は無垢なる子供の側におわす、ということで教会は遠景でかすんでいるのだとか。
この遊びの場として描かれているのが町の広場なのだが、「謝肉祭と四旬節の戦い」の舞台も広場、「幼児虐殺」の舞台も広場。当時の民衆の生活の舞台は広場だったのだろう。広場こそが人と物が行き交い、情報を交換しする一番重要な場だったのだろう。
 
左の家の窓から仮面をつけた顔がのぞいているが、これは悪魔が夢中で遊んでいる子供たちを見ているのだとか。悪魔は仮面をつけて、子供たちの遊びにまざりたいらしい。なにがそんなに悪魔をひきつけているのだろう ?
夢中になっている精神状態か ? 夢中になっている状態というのは幸福な状態だから。
早くに大人と同じ生活に入らざるを得ないから、より子供らしい遊びの時間は貴重であっただろう。その貴重なものが悪魔を惹きつけてしまったのかもしれない。
 
 
色々なメタファーがあるのだろうが、単純に見ても面白い。当時のフランドル地方の子供たちがどんなことをして遊んでいたかが判る貴重な歴史的資料とも言える。子供の遊びは時代が変わっても、洋の東西でもあまり近年まで変わらなかったのだな、と思うと共に、ここ15年くらいのゲーム機の普及は、今の時代の日本で子供の遊戯という絵を描いたとき、なんとも味気ない絵になるだろうと思うと、ちょっと現代の日本はやるせなくなる。