ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

宮部みゆきの「あんじゅう」で涼む

宮部みゆきの「おそろし」が面白かったので、その続編「三島屋変調百物語事続 あんじゅう」を読んでみました。
 
続編なのですが、出版社も違えば、装丁も大違い。なにやら可愛らしくなっています。「怖い」というより「可愛い」です。英語圏の人の使う日本語で、どちらも同じに聞こえたりすることがあるものの、「怖い」と「可愛い」は両立するのでしょうか。
イメージ 1
 
●あらすじ
語って語り捨て、聞いて聞き捨て・・・
一度に一人のお客様より、身近に起こった怪異について語ってもらい、それを聞くという「三島屋変調百物語」は続いていた。今回語られるのは4つのお話。
その男の子の行く所、水がなくなってしまう『逃げ水』。
双子の姉妹を廻る祖母の呪詛に右往左往する親たちと、ひっそり暮らす娘の『藪から千本』。
隠居所に選んだ屋敷に棲む心優しき不思議な生き物『暗獣』。
山深い土地で行われた生け贄により作られた木片の仏像が村人たちを呪う『吼える仏像』。
 
一番怖かったのは『吼える仏像』。人の欲とか集団になった時に人間が変化する獣性とか、そう言ったところが恐ろしい。怪談というのは結局、人間の業の深さが招く事態の恐ろしさなのですね。自分がちょっといい目を見たいからと、村の掟を破ることで、そのしっぺ返しを受けて、一年間の生け贄に選ばれての軟禁生活。それを行う村人たちも、しきたりだから、掟を破ったから、という気持ちから、本来持ってはいけないような優位性を持つことで、軟禁している生け贄につらく当たる。元は身から出た錆でも、それに対して恨みを持つことで、村全体を崩壊させてしまうような悪鬼に転じてしまう。人間というのはなんとも愚かで恐ろしく、悲しい生き物です。
このお話の語り手である偽坊主が、この怪異を経験した後、「そうだ、わしは御仏をお探ししよう」と決意するところは、この悲しい人間性に対する一縷の希望でしょう。
 
切ないなぁ、と思ったのが『暗獣』。
「あんじゅう」って、一体なに ?
と、思っていたら、漢字で書くと「暗獣」。暗がりでしか生きられない、闇を集めて出来たような妖怪。それも、ずっと空き家になっていたお屋敷が人恋しくて、いつの間にか産んでしまったもののけ
その「暗獣」のことを「くろすけ」と呼んで手名づけて、同居する老夫婦の話が、なんともほっこりとして楽しい。しかし、「くろすけ」はあまり人間に近づくと、自分の力を奪われてしまうので、距離をおいて付き合わないといけないと気づき、慣れ親しんだ屋敷を去る老夫婦。
「くろすけ」は人が好きで、人の気配にそわそわし、人を乞う生き物なのに、人に近づくと死んでしまう運命を負わされているという、なんとも切ない生き物。「くろすけ」と老夫婦の友情ともいえるようなお話に涙する。
 
「おそろし」の続編の「あんじゅう」は、なにやら「しゃばけ」シリーズのような可愛さでした。怖いとか、お化けとか、怪異とかではなくて、江戸人情話が中心です。
しかし、江戸時代は、現代よりももっと身近に怪異が転がっており、異界がそばで口を開けていた時代かもしれません。
怪異とともに、人情も、時代とともに失われていったのだなぁ、と思います。そういう意味では、同じジャンルでもあるのですね。そして怪異と人情は、人の心・情が生み出すコインの裏表のような関係なのかもしれません。
 
やっぱり一番怖いのは、「ヒト」といったところでしょうか。
 
「あんじゅう」、面白くて、すぐに読めてしまうので、あまり本を読まない人にもお勧めです。各ページに可愛い挿絵が入っていて、絵本のような趣も○。暑い夏、怖いだけでなく、ほっこりと癒されてください。