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むしろここからのスタート 映画「赤毛のアン」

テレビで映画「赤毛のアン」の紹介があり、すでに5月6日から上映中との事で、今日は映画館に飛んで行きました。

上映館を調べると、数が少ない上、朝の9:00からとか9:20からの1日1回のみの上映の所がほとんどで、オタオタしていると上映が終了してしまいそうです。

そこで本日行ったのですが、朝の9:20から映画を見る人なんてどれだけ居るのかしら? 社会人になってから朝から映画を見た記憶が無いので、一体どんなものかしら、5人位しかお客が居ないのかしら、と思いながら行きました。

ところがです。あまり大きな会場ではなかったものの、上映20分前にチケットを買ったところ、殆どの席が既に埋まっていました。本当か?と思いながら会場へ。殆ど満席だったのではないかと思います。

朝からそんなに気合いが入っている観客って、どういう人たちなんだろう? 年配の女性が多かったです。

さて、映画「赤毛のアン」ですが、まず私が驚いたのはアンの良き理解者であるマシューおじさんの役があのマーティン・シーンなのです。マーティン・シーンもこういう役をやるんだ、と何やら感慨深いです。

そして、この映画は小説「赤毛のアン」のお話すべてをカバーしているわけではなく、なんと途中で話が終わってしまいました。手違いでグリーン・ゲイブルズに送られたアンは、引取先の家庭が見つかるまでグリーン・ゲイブルズに滞在するという話になっていて、ラストではアンの引取先が見つかり、アンはその家に行く事になります。最後にマリラが駅まで追いかけて、「もう私たちは家族なのだから、グリーン・ゲイブルズに居なさい」とアンを迎えるところで終わります。

それまでが何ヶ月もあり、小説でお馴染みのエピソードが幾つか入っています。オリジナルのエピソードもあり。

プリンス・エドワード・アイランドの景色が美しい映画です。衣装も素敵だし、グリーン・ゲイブルズも素敵。

ただ、ストーリーとしてはイマイチ。小説の愛読者や1985年版の映画を見ている人も、ちょっとガッカリしたのではないでしょうか? 小説「赤毛のアン」は映画にし辛い作品だとは思うのです。毎日の生活の中でのエピソードの積み重ねだからです。それを、いつくかなエピソードを掻い摘んで繋げたような出来で、時間の概念などは完全に無視されています。

そして、小説「赤毛のアン」ではかなりのボリュームを持つ学校のシーンが殆ど無いのも、おかしな話です。小説「赤毛のアン」は孤児のアンがグリーン・ゲイブルズでマシューとマリラと家族になる温かい話を中心に、島の生活や自然の美しさと厳しさ、友情、友達たちとの楽しい遊び、周りの人々との交流などが描かれていますが、その中でも忘れてならないのが女子教育の描かれ方です。

アンはひたすら勉学に勤しみ素晴らしい成績を収めます。さらに上の学校の受験があったり、仲良し女子グループでも進学する人もいればダイアナの様に親が女子には教育は要らないという方針のもと、村の学校だけで家事手伝いに収まる人もいます。学ぶことが将来を大きく開いてくれるという力強いメッセージが小説「赤毛のアン」には込められています。

それなのにこの映画にはそれはなく、アンは見た目の事ばかり気にしています。

マリラが最初にアンに縫ってくれたドレスも、映画で見ると可愛いので、そんなにガッカリしなくても良いのではと思います。アニメの「赤毛のアン」のグレーのドレスが原作に近いかもしれません。

とは言え、観客の大半は小説を読んでいるらしく、各エピソードの前に結果が分かっているので、笑いが漏れるのでした。

この映画は、まだ小説を読んでいない人が見て、面白いと思ったら原作を読んでね、と言うような予告編みたいです。

まだ小説を読んだ事が無い人は、是非とも原作を一読する事をお勧め致します。子供向けでしょ、とか言わないで。小学生が読んでも面白いのですが、大人になって読んでみると、子供の頃には分からなかったところにしみじみとする小説です。「赤毛のアン」は孤児のアンが家族を得る話であると共に、独身で子供が居ないマリラに母性が芽生えいかにそれを育てて行くかという物語でもあるのです。むしろ大人になったヒトに読んでいただきたい。そして、常に希望に満ちたメッセージを送ってくれます。

映画を見て、小説を再読したいと思いました。

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