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映画「利休にたずねよ」

テレビ東京でドラマ「石川五右衛門」が始まるので、主演が同じ市川海老蔵の映画「利休にたずねよ」が地上波初のノーカットで放送されまして、今日は洗濯機を回しながら昼間から映画にダイブです。

この映画、見に行きたかったのに行きそびれてしまったクチです。原作の「利休にたずねよ」という小説がとても気に入り、それを読んでしばらくは、私の中でちょっとした利休ブームでした。また、最近たまたま「利休の闇」という小説を読み、なんだかすごいタイミングで、この映画です。

一言で言うと、美しい。映画でないとできない表現でいっぱいです。テレビドラマではこういう描き方はできません。

利休が何者であったか、という定義は描く作家によって違うでしょうが、この作品の利休は「美の求道者」です。「私が額づくのは美しいものだけでございます」と、映画のかなり早い時点で利休が語っています。と、なれば、画面構成やディティールも、見ているものがはっとする様な美しいものでなくてはならないでしょう。

この映画は、シーンの構成が美しい。音を抑え、台詞を抑え、削ぎ落としていった挙句に物事の本質が浮かび上がる様な美意識を感じます。それはまるで、満開の朝顔を、その美を際立たせる為に一つを残してすべて摘んでしまうような贅沢な行為であり、たった一輪の椿の花を簡素な竹筒の花入に飾る様な演出です。

信長の「誰が美を決める」との問いに、「美は私が決めます」と言い切る利休。そのくらい、美については本気で、自信が感じられるシーンです。

茶湯に没頭し、道を極めた利休ですが、その発端として語られる青年時代のエピソードに、その後の利休が左右されて行く謎解きになっていて、興味深い作品です。手に馴染む茶碗の作成、たった一輪をあり合わせの筒に生けた花飾り、粗末な掘ったて小屋、狭い空間、一期一会、末期の茶・・・。上手く利休の目指した美の構成にはまっていきます。

美は人の心をざわつかせ、人を虜にし、それを手にしたいと欲するようにする、危険なもの。その美を自在に操り、人心を掌握した為に、利休は死ななければならなかったのでしょう。

天真爛漫で野心家だった秀吉が、身分が高くなり、煌びやかな衣を身につける程、その心根が下品になって行く様と、利休との関係性の変化も見所。

主演の市川海老蔵は素晴らしく、流石、歌舞伎の一人者だけあると思いました。青年時代のととやの与四郎が遊び人で、身代を傾けてしまうほどだったというエピソードも、かつてはやんちゃだった海老蔵と重なるものがあります。突き詰めて遊んだ者が、一旦本業を見出した時、その力の入れ様たるや凄まじいものがあるのでしょう。この役は海老蔵でなければダメだったと思います。

静かで地味な作品だと思わせて、実は静謐さの中に赤々と燃える情熱を感じさせる作品です。美しいものが好きな人、美が分かる人、映画が分かる人にとっては、またとない楽しみな作品でしょう。

今の時代の、ものの分からない不粋な連中は見なくていい作品です。

美は、人を選びます。

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