ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

父の帰還

父が亡くなりました。

 

営業の人にお伴して築地の企業に打ち合わせに行っていました。終わって帰ろうと会社の外に出ると、相手の方がお見送りをしてくれていて、思い付いたように話が出てきて5分くらい引き留められました。電話がかかってきていたのですが、無音にしていまして、本当は出たいものの初めてお会いした方だったので、話が終わるのを待っていました。

築地の市場跡の横を通って地下鉄都営線の駅のホームで、妹から悲鳴のような電話がありました。「お父さんの心臓が止まっちゃった!」

それで、そのまま帰省しました。電話を受けたのが14:25位でした。

 

帰省するにはまずJRの高崎線に乗らなくてはならず、秋葉原から上野に出ようと思いました。上野から新幹線で熊谷まで行き、その後は高崎線でと言う算段で、上野駅構内を走りました。ところが、新幹線乗り場は4階分降りないといけないとかで、5分では行き着けないとの事。次の新幹線は高崎まで行って戻る事になるとのことで、在来線で、途中少し早いのに乗り換える事になりました。それでも、本庄についたのは16:44。病院まで徒歩で5分程。途中、籠原で妹から「もう終わってしまった」との連絡がありました。

病院では私の到着を待ってくれていて、そこで死亡宣告がありました。16:56でした。

 

父は11:30頃最初の心臓の症状があり、医師が心臓マッサージをしたところ戻って来たものの、13:50頃再度状態が出て、また心臓マッサージ、そのタイミングで病院から妹に電話があり、妹が病院に到着してから、私に最初の電話をしていたようなのですが、何本も電話があった履歴がありまして、最後が地下鉄のホームでした。どうやら14:30頃には父は亡くなったようなのですが、死亡宣告は私が来るまで待ってもらっていました。

 

病院に駆けつけると、丁度着替えをしていて、浴衣に着替えさせてもらっていました。済むまで別室で待機、その後、呼ばれてやっと父との対面です。直ぐに先生が来て死亡宣告。そのあと看護師さんがお化粧をしてくれて、また病室へ。5分もしないうちに、父の妹夫婦が駆けつけて来ました。叔母たちも父に会う間も無く、霊安室に移しますとのことで、移動。セッティングが終わり、やっと父とゆっくり面会かと思いきや、「もう葬儀屋さんには連絡しましたか?このお部屋もずっとは居られないので、早目に葬儀屋さんに連絡して移動した下さい」と言われ、大急ぎで葬儀屋さんへ連絡。移送の算段をつけました。葬儀屋さんが言うには、ご自宅にお布団を敷いて待っていて下さい」との事。お布団は今まで故人が使っていたものでいいと言うので、お布団をお世話になっていたホームに取りに行く事にしました。妹を先に家に帰し、まず掃除をしてお布団を敷ける状態にしないと!葬儀屋さんは「準備が出来たら何時でもご連絡下さい」と言っているので、そこから大急ぎで準備です。叔母夫婦が霊安室に居てくれるというのでお願いして、2手に分かれて手配です。

私はタクシーでホームに向かいました。途中で連絡しておいたので、ホームでは寝具一式を用意してくれて居ました。父が亡くなった旨を伝えていたので、本来ならその日はもう上がりの予定だったホーム長も待っていてくれました。

寝具一式をタクシーのトランクに積んで、今度は途中にあるしまむらで白いフラットシーツを購入。タクシーは一路我が家に。掃除が急ピッチで進んでいました。荷物を全て下ろすと、今度は病院にとって返しました。途中で葬儀屋さんに連絡。霊安室で叔母夫婦が待機してくれていました。5〜10分程で葬儀屋さんが到着。遺体を我が家に移送しました。叔母夫婦は翌日の打ち合わせにも来てくれると言って、帰宅しました。

 

我が家に移送すると、葬儀屋さんが遺体にドライアイスを乗せてお布団を整えます。お線香や蝋燭などの台を設えて帰りました。

 

父が、ついに帰還しました。12年ぶりの我が家です。

12年前、父は届いた後期高齢者の保険証を握りしめて、前立腺の検査に出かけたのですが、その病院の待合室でくも膜下出血になり、救急搬送されて、赤十字病院で手術を受け、回復期のリハビリで本庄市の病院に11ヶ月だか12ヶ月だか入院、その後転院して深谷にある病院のリハビリ病棟を出たのが倒れてから1年4ヶ月後で、それ以来ホームでお世話になっていました。

亡骸になって、やっと父は帰還しました。12年前、出かけた時は、まさか自宅に戻るのにこんなに長い月日がかかるなんて思ってもみなかったでしょう。

「お帰りなさい」と声を掛けました。

 

父が安置された仏間は、12年前まで、父が寝起きしていた部屋で、その部屋にまた父が寝ているのは、なんだか久しぶりの光景です。ただ、今回は北枕です。

 

病院では忙しくて、ゆっくり父との面会が叶いませんでした。

こうして帰宅すると、何をどうしたものか、父の洗濯をする事になりました。妹が病院から呼ばれた時に父の洗濯をしていて、まだ干していないと言うので、干しました。不思議なもので、父が亡くなったと言うのに姉妹揃って洗濯をして過ごしました。父の最期の洗濯かな、と思いましたが、ホームから荷物を引き上げて来たら、夏物でまだ洗濯していないものや、病院に持って行って使った毛布など、まだ洗うものはありそうです。

父が亡くなったと言うのに洗濯している場合なんだろうかとは思うのですが、何かが出来るわけでもなく、洗濯物を干しました。

 

父は年齢的には大往生です。

お父さん、本当にお疲れ様でした。ゆっくり安心して休んでいいよ。


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