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甘い生活を目指しています。

お葬式、火葬、生き切った父

今回のお葬式はお坊さんの都合で、先に葬儀、初七日法要をやって、バスで火葬場に移動。火葬の間にお食事をして、焼き上がりを待って骨を拾い、お寺にバスで移動すると言うプランです。

 

お通夜だけ参列、お通夜には出ずに葬儀のみ参列の方もいますので、父の従兄弟は昨日と顔触れが代わりました。父の父方の従兄弟にあたる方が2人居たのですが、お一人は既に亡くなり、今回ご丁寧にその息子さんが、もう一人の方と来てくれました。

母方のチームはお通夜に加え2人参列してくれました。お通夜に続きご近所の方と、お世話になっていたホームから2名参列してくれました。

 

葬儀は、今回初めて見るスタイルでした。10年前に母の葬儀を行った時は先代のご住職でしたが、今回は次のご住職になっていました。巻物を2つ持っていて、それをお経の途中で投げていきます。葬儀の後に引き続き、初七日の法要があります。

 

その休憩中、父の妹であるH叔母が倒れてしまいました。「誰か倒れている」と聞いて、一体誰がどこで倒れているのか、救急車は必要かと見回すと、境内の隅で座布団を敷いてH叔母が倒れていて、その2人の娘さんが腰をさすったりしていました。H叔母は腰が悪くて手術して良くなった経緯があり、ストレスが掛かったりすると弱い所に出てしまったようです。葬儀屋さんに膝掛けなどの何か掛けるものをお願いしたところ、近所にある葬儀屋さんのホールから持って来てくれました。休憩が終わる頃には叔母は元気を取り戻し、背凭れのある椅子であれば大丈夫らしく、椅子を替え、腰の辺りに膝掛けをクッションの様に当てて初七日法要に参加しました。

H叔母は病院からお付き合い頂いているので、精神的にも肉体的にも大変だったでしょうし、お通夜、葬儀と認知症の妹であるY叔母が参加していて、何くれとその世話もしていたのです。Y叔母のご亭主も来てはいるのですが、姉であるH叔母に頼りきりです。

 

初七日の法要が粛々と進みました。

その後、お棺に花をみんなで入れました。その時、お通夜で配られた「南無阿弥陀」の用紙にそれぞれお便りを書いた物を入れました。この催しは今回初めてですが、いいアイディアだと思います。お通夜の時に皆で読んだお経の部分の後に、「南無阿弥陀」とペンでなぞる部分があり、願主として名前を記入、反対側にも「南無阿弥陀」と印刷されていて、空いているスペースは自由に使えます。

お棺に花を入れてもらい、父の顔の周りは色鮮やかな洋花で飾られました。まるでクリムトの絵の様です。

お棺が閉じられて出棺です。

 

火葬場で最期のお別れをして、父は荼毘に付されます。焼きあがるのを待っている間、今回は食事をする事になっていました。

 

火葬場では約90分程で焼き上がりまして、お骨を拾いました。父は骨粗鬆症だったせいか、骨の内側がまるで麩菓子の様にアワアワしていました。よ〜く焼けたようで、かなり粉々でした。生前はガッシリしていて骨太のイメージがありましたが、驚くほど骨量が少なく、骨壷の上の方がスカスカしていました。

父の骨で、皆が驚いて見ていたのは、大腿骨に入れられたボルトが骨を並べたトレイに並んでいたことです。父は大腿骨骨折を左右やっているのですが、初めに折った左側は手術でボルトを入れたので治りが早かったのです。右側は手術が出来る状態ではなかったので自然治癒で骨が付くのを待ったので、時間がかかり、治った後も痛みを訴える事がありました。その上足の長さが変わってしまい、歩けなくなりました。

更に、頭部からはミシンに使うボビンの様な形の金属が、大小各1つずつ焼け残りました。頭の骨は粉々で形が無かった中、その金属は注目を集めました。父はくも膜下出血の手術をしていて、その時2箇所クリップで留めました。そのボビンの様な物が、その時のクリップの様です。くも膜下出血の手術の後、水頭症になったので、シャントが頭から腸に入っている筈なのですが、シャントは思うにゴムのチューブの様な物なのか、一緒に焼けてしまった様です。

こんなに色々な金属が身体に入っていたなんて、父はまるでサイボーグの様です。かなりの数の火葬に参加していますが、骨以外が焼け残ったのを見た事がありません。もちろんお棺に入れたあの世のお小遣いの小銭や故人愛用グッズの焼け残りはあるものの、身体の中に金属を入れていた人の火葬に立ち会ったのは初めてです。骨の状態を見ると、父は生き切ったのだなと思いました。

ここ10年以上、父の身体の一部として機能して来た金属達も一緒に骨壷に収めました。

 

お骨になった父の最期のドライブは火葬場からお寺まで。参列者と共にバスで戻りました。お寺で解散しまして、骨壷があまりに重く、葬儀屋さんにお願いして車で自宅まで送って頂きました。

骨壷、葬儀の打ち合わせの際に、葬儀屋さんのカタログで選んだので、重さまで考えていなくて、一番いいのを注文したら大理石の為、15kgくらいありそうなのです。四十九日法要の際は、どうやって運ぼうか、と思案しています。こんなに重いなら選んだ時に誰か止めてくれれば良いのに!

一時、その骨壷を持った妹は、腕と胸が痛むと散々言っていました。骨壷を持ってバスに乗り、骨壷を下ろしたH叔母のご亭主は寝込んでるかもね、とも。

 

色々ありましたが、父は小さくなって帰宅しました。無事に葬儀も終了。葬儀屋さんが家にあった台を使って、簡易の骨壷やお位牌を置く場所を設置してくれました。後から花屋さんが2本、大きな花を持ってきてくれました。

 

帰宅した父の遺影は、なんだかホッとしているようにすら見えました。

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