ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

相手は書類ではなく人

昨日はいいお店でいい買い物が出来てホクホクだったのに、今日はダブルで「ふざけんな!」と言いたいような経験をしました。それも故郷の個人店と言うより公共性の高い商売をしている連中からです。場所柄なのかな。私も自分の故郷の事をあまり悪く言いたくはないのですが、どうしても物事が杜撰な気がします。

 

1つ目は銀行です。父がお世話になっていたホームの引き落としが、毎月27日なのですが、口座が閉まってないか引き落としが出来るのか、確認して欲しいとホームから連絡がありました。よく、故人の口座をすぐ閉じずに都合があって暫く開けておいて貰っているという話を聞きます。毎月10年以上も同じ所から引き落としがかかっていたので、少しは口座を閉じるのを待ってもらうと言うことができるものなのか、今月27日には普通に引き落としができるのか、確認をしようと電話しました。

電話に出た行員は個人情報を聞き出し、しめしめという感じで「今死亡が分かったのでもう使えません」と宣ったのでした。私が問い合わせている内容にまず答えるのが筋だと思うのですが。しかも、10年以上も毎月引き落としがあった所の引き落としくらいさせてくれたらいいでしょう。物凄く感じが悪く、引き落としごもう出来ないにしても伝え方なりはあるはずです。行員は若い女性でしたが、「この度はご愁傷様でした」でもなく、「ご遺族の心中お察しします」でもなく、自分の方で聞きたい事ばかり言ってくるのです。こんな奴にこれ以上話したくないし、私が聞きたい事ではない余分な話を私が電話代を払って聞きたくないので、「用がある時はこちらからかけます(あんたなんかとこれ以上話したくないんだよ!)」と話を切り上げました。

この銀行は、今年の9月に、父の年金口座に貯まったお金がまとまった金額になっているので、下ろしておこうと父を連れてお金を下ろしに行き、2時間も軟禁されました。大きい額のお金を下ろす際は警察が立ち会いますと生活安全課の警官、女性2人、男性1人がやってきました。何に使うか、私と妹とそれぞれに婦人警官に事情聴取されまして、「医療費です」とお答えしました。父に聞かせたくないので、少し離れたブースに移り、「入院費と、年齢も年齢ですから、今度入院したらその後の費用も必要になるかもしれないのです。入院してしまうと下ろしたくても下ろせないので、先に手元に自由になるお金を用意しておきたいのです」と言ったところ、婦人警官は「あー、そうですよね」とすぐに納得。ある程度の年齢になると自身で葬式をだしたり、入院している家族がいたりするので、普通はこう言う話はパッと分かるものなんです。それなのになぜか銀行員だけは分からないようで、どうしてもお金を下ろさせまいとしてきます。生活安全課の警官たちにより、まったく私たちが正当な事を言っていると判断され、お金を下ろすことになったのですが、私は現金で持ち帰りたいと言っているのに、振込でなければ下ろさせないとまで言って、結局振込で処理しました。それも手数料は私持ちで。そんなに言い張るなら手数料は取るな!物凄く不愉快な出来事でした。埼玉りそな銀行本庄支店です。ここは以前も、やはりお金を下ろすのに四苦八苦した所です。その時はマネージャーだか上の方が、次は簡単に手続きできるように、私を指名してくださいと言っていたのですが、既に移動。

翌日、振込先の私の同行の口座から全額下ろしてやれ、と思ったのですが、置き場所に困り、少し残しました。蕨支店は物凄く簡単に下ろせました。同じ銀行なのにこの違いは一体何なのか?そして私が言った通りになっているじゃないの!あの時下ろしておいて良かったと思います。お陰で、父の全医療費、葬式代、ホームの原状回復のお金など、すべてそれで賄えます。更に、固定資産税の今年分の残りもすべて払えます。法事 は葬式だけでなく、四十九日法要、新盆と、これから立て続けにあるわけで、それも大丈夫。石屋さんに石碑に名を刻んでもらったり、納骨の日に墓石を動かしてもらったりの費用も心配ありません。

銀行はただの企業ではなく公共性の高い企業のはずなので、長い付き合いの一顧客に対しても、しっかりした対応をしてもらいたいです。この銀行は、生前の母がご贔屓にしていて、担当者が付いていた筈です。時代により、仕事の仕方も変わってしまったのかもしれませんが、なんだか毎回嫌な気分になります。蕨支店は感じが良いです。

 

もう一つは父が亡くなった病院。担当の先生や看護師さんたちには本当にお世話になったと思い、支払いに行った際にお菓子を置いてきました。

私は実は2度、支払いに行っているのです。6日と7日に。6日に行った際、「まだ計算が出来ていない。明日の10時頃には出来ています」と言っていたので、7日に支払いをしてナースセンターにご挨拶に行きました。

2度行っているのに、受付で薬局に預けていた筈の父のお薬手帳や持ち込んできた通常服用していたお薬の返却はありませんでした。遺体を運んで帰った日にも返却はなし。お薬手帳を取ってきてと妹に依頼していまして、昨日、妹が病院に行ったのですが、すでに処分したと言われたとかで、電話してきました。

妹は舐められやすいタイプで、おおよそ物事が上手く運んだことが無く、その都度グダグタ電話してきます。

仕事している最中に煩いので、私から病院に電話しました。その件については電話口の人の上司が対応します、との事で、電話がかかってきました。

その人の話。「病院で亡くなった人のお薬手帳を遺族が取りに来ないことが多い。どうするか尋ねると処分してくれと言われることが多いので処分してしまった」他人の物を勝手に処分して良いわけがなく、どうして問い合わせてくれなかったのか?「ご指摘の通り、こちらの管理に杜撰な点がありました。今後はこういう事が無いように業務を見直し対処していきます」との事ですが、我が家の分はもう間に合わないわけで、今更業務を見直しても遅すぎです。

相手の方からご提案がありました。「あのホームに入られていた方でしたら、コンピュータにお薬のデータは入っていますので、それを出してお薬手帳を新たに作らせて頂くのはいかがでしょう?」正直に言いますと、そこの病院はホームと提携していたのですが、殆どの薬は月に1回通っていた群馬県藤岡市の病院で頂いていました。更に、父はあちこち症状が出たりで、紹介されたあちらの病院こちらの病院と、あちこちに通っていたのです。今回の病院だけのデータでは治らないのですが、ご提案頂いたのでお願いしました。ここに来て、やっと建設的なご提案です。処分してしまったものはどうにもならないにしても、誠意を見せる事は出来るはずです。

 

多分、この薬剤師の部長さんだか課長さんだか分からないですが、対応してくれた方も、実際に処分してしまった薬剤師も、どうして私たちがこんなにお薬手帳でうるさく言っているのか理解出来ないと思います。

父は12年前にくも膜下出血で手術を受けて以来、あちらが悪くなりこちらが悪くなり、病気のデパートの様に様々な病院に行きました。しばらくして治ったものもあれば、観察中のものもあります。もっとも、年も年ではあるのでしょう。機械だって80年も85年も動き続ければ部品交換が必要になるでしょうし、油を刺してメンテナンスしてやらなければなりません。父は車椅子になった事もあり、自分で病院に行けなくなり、家族が毎回付き添います。父のお薬手帳は父の病気との闘い、生きる事との闘いの記録なのです。そしてそれは、あっちが悪いと結果が出れば、どこの病院がいいか調べて、あちこち連絡して父の診察に付き添った私たち家族の闘いの記録でもあるのです。それを確認もせずに気安く処分してもらっちゃたまりません。

 

ちょっとした想像力、すこしの相手への関心があればここに挙げた2件の例は起こらなかったでしょう。日々の仕事の中で、それがルーティン化して、相手にしているのが人ではなく書類になっているのではないでしょうか。どちらもぞんざいな扱いをした結果であり、そこには仕事に対する責任感すらありません。

 

人の痛みが分かる人でありたいものです。

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