ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

ドーナツの穴を美味しくいただく

台風以降、急に寒くなりました。未だ、衣替えが出来ていないまま、なんとなくごまかしごまかし生活しています。そんなことをしていて、もう10月も終わりそう。今年はすっかりハロウィンのことなど忘れていて、かぼちゃのディスプレイさえ見ないまま、10月を終えてしまいそうです。
 
忙しいような、忙しくないような昨日今日。それでもなんだかどんよりとくたびれている日々。このままぱっとしないうちに冬に突入してしまうのかしら・・・。
 
前々から、お昼にランチを食べ過ぎているとは感じていたものの、本日はっきりと、私にとっての適量とはこのくらいでいいのだ、と知った気がします。
 
本日のお弁当は、小さめのおむすびひとつと、野菜と厚揚げの炒め物、お味噌汁でした。おむすびにしたのは、お弁当箱に詰めるのが面倒だったのと、おかずをタッパに詰めておしまいという、すごい手抜きで済むからなのです。朝ドラの「ごちそうさん」で、毎日おむすびのお弁当を作るという設定になっていて、それを見ていたので、おむすびもいいなと、思ったのもあります。
 
そして、このくらいの量が、現在の私の胃袋にぴったりだったのです。今までは、お弁当箱の大きさに、胃袋を合わせていたわけで、夕方になってもお腹がすきませんでしたが、今日は夕方には気持ちよくお腹がすいて、「晩御飯、はやく帰って食べなくちゃ」と思うほど、晩御飯が楽しみになっていました。
 
胃袋だけでなく、何でも少しの飢餓感が次に対する期待を呼ぶようです。常に満腹状態で、やってくるものを食べ続けていては、食事の楽しみも食べ物の美味しさ、ありがたさも薄れてしまいます。何についても同じことが言えそうです。
 
何かが足りないと、足りない部分についつい目がいってしまい、そこばかり気になってしまいますが、足らないからこそ、それを補おうという期待を持てるという意味では、ドーナツの穴もまた、未来の幸福の形なのかもしれません。
 
ドーナツの穴ですら、美味しく頂くコツが生活を、人生を豊かにしてくれるものの一つなのかもしれません。自分の必要な量を知るのは、やみくもに自分を不幸にしないために大切な点なんだろうと思いました。「足るを知る」ということは、こういうことかしらと、ふと考えた秋の午後でした。