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人間性を考えさせる 映画「ブレードランナー2049」

8日(水)に映画「ブレードランナー2049」を見て来ました。
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私は1982年公開の「ブレードランナー」が好きで何度も見ているのですが、まさか続編が出来るとは思ってもいませんでした。

ほとんど事前の情報を得ないまま「ブレードランナー2049」を見ました。

前作は2019年にブレードランナーデッカードレプリカントのレイチェルを連れて出発するところで終わりました。

今作はその30年後。デッカードとレイチェルは行方不明になっています。30年の間に地球の事情もレプリカント事情も大きく変わっています。新作ではレプリカント自身がブレードランナーとなり、姓名維持が無限のレクサス8型の残党を狩っています。

ブレードランナーのKはいつも通りの仕事であるレプリカントを引退させるのですが、そこから現体制にとっての危機的状況

を招く存在を掘り当ててしまい、上の命令でその存在を排除

すべく捜査をします。彼が最後に辿り着いた秘密とは・・・。

前作より更に地球は荒廃が進んでいるようです。


今回、「ブレードランナー」の続編ができたのか~、というだけで見に行ったので、実際見るまで監督が誰とか、まったく考えていませんでした。しかし、見ていて、どうもリドリー・スコットではないらしい、という感じはしていました。街の様子の描かれ方などが、前作と比べるとイマイチ。前作の方が細かい所に凝っていた様な。屋台の麵の店での店主が日本語だったりするのも面白かったのですが、先に時代が進んで、そんな屋台もなくなってしまっているようです。

前作では確か酸性雨が降っているという設定だったと記憶しているのですが、新作は都市部は雨降りでも郊外に出ると雨は降っていない設定らしい。地球の荒廃が進んでそんなことになったのか、あるいは少しは環境が回復して、人口密度の極端に少ない僻地は砂漠化しているのか、あるいはあそこはかつてのデス・バレーなのかは不明ですが、人類の未来はあまり明るくない気分にはさせてくれます。

今回は「K」と呼ばれるブレードランナーを主役に据えて、排除命令が出ている旧型のレプリカントを捜し求める話なのですが、どうやら為政者にとってはあってはならない事態が起こっていて、旧型レプリカント探しはその事態を収拾する為の任務です。

それにしても、「K」はアイディンティティが崩壊してしまわないだろうか、と見ていて心配になります。「ああ、自分は本当はこうだったんだな」と信じていたものが、新たな事実が出てくるたびにひっくり返されてしまう。それでも命令された任務からではなく、自己の存在をかけてなぞに挑んでいくのが、とても人間っぽい。

ラスト・シーンは前作を彷彿とさせるものでした。前作ではルトガー・ハウアーの演じたレプリカントの生きることの悲しみ、レプリカントとしての存在の哀しみがどっとあふれてくるものでした。今回も「K」の心情を慮るようなラストでした。

総体的に面白かった。正直、あの名作SF映画の続編ということで、結構どきどきしてはいたのです。ただ、リドリー・スコットが製作総指揮についているとは言え、欲を言えば御大自らメガホンを取って頂きたかった。前作の世界観というのはやはりリドリー・スコットでないと出せない完成度なのではと思うのです。

これはファンの方にも是非見ていただきたいと思います。デッカードとレイチェルの愛の逃避行のその後がどうなったか、ぜひ見届けて頂きたい。そして、未来においての人間性というものについて、しばし考えを廻らせるのも一興でしょう。