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甘い生活を目指しています。

父の転院 家族の新たな野望の始まり

父が転院しました。埼玉県北部にある本庄市の病院から群馬県南部にある伊勢崎市の病院への転院です。この2つの市は利根川を挟んで接しています。お隣の市です。

 

10:00に本庄市の病院を出発する様にストレッチャーで移動できる介護タクシーを病院が手配してくれていました。少し早く行って、父の荷造りや支払いを済ませるべく、9:15に現地集合をかけていました。

私は7:20に家を出て、9:00着の高崎線に乗る予定でしたが、一つ早いのに乗れたので9:00前に本庄駅に到着。病院に行くと、沢山持って来ていたパジャマやタオルの余分な分を妹が持ち帰っていたので、病室には荷物が少なく、荷造りはあっという間に済みました。妹が、転院先に持参する荷物を持ってやって来ました。転院時に着せてもらうパジャマと下着は前日に持ち込んでいます。看護師さん数人が、しばらくお風呂に入らなかったので拭きますね、とやって来て、綺麗さっぱり整えてくれました。その間に会計を済ませたり、持ち込んでいたお薬とお薬手帳を薬剤師さんから受け取ったり。私が病室に戻ろうとした時にはすでに出発の準備が出来ていて、父はストレッチャーに括り付けられていました。

 

さあ、そこから一路、転院先の病院を目指します。1時間もかからずに着いたような。物凄くスムーズなドライブでした。介護タクシーの会社からはドライバーさんと、付き添いの看護師さんが来てくれました。

 

後にした病院から預かって来た書類を出したり、手続きをしていると、別室に通されまして、今後の治療のプランや、延命治療についてなどのお話が担当の医師からありました。入院の手続きの書類を書いている間に父は検査があったようです。荷物はお部屋に運ばれていました。

父とお部屋に移動して、ここが暫くは父の場所になります。

今日は朝から雨降りで、確かに寒い日でしたが、父は寒いと言ってプルプル震えていました。沢山タオルを持参していたのと、車椅子のひざ掛けとして使っていた小型毛布も持ってきたので、何枚も父に掛けました。看護師さんも通常1枚の上掛け布団をもう1枚持ってきてくれました。湯たんぽまで入れてもらっても、父の震えは収まらず、どうやら熱まで出てしまい、抗生物質の点滴を受けることになりました。

一旦、私たちはお昼を食べに行き、戻ってみてもまだ父の震えは収まらず、妹が毛布を買いに行くと言い出し、売店で尋ねたら大型洋品店が歩いて行ける距離にあるので、雨の中、トボトボと買い物に行きました。生家に行けば毛布はあるのですが、今の寒さをなんとかしてやりたいと妹が力説。毛布とネックウォーマー、レッグウォーマーを購入。病室に戻り、早速父に装着したところ、かなり暖かいらしく、震えはどんどん収まっていったのですが、今度は頭が痛いと時々顔をしかめます。お薬を点滴してもらうことで、かなり楽になったようなので、帰って来ました。

 

今までは、午前中に入院や転院をして、ごちゃごちゃ手続きや何かをし、お昼ご飯を食べて終了、解散という感じで、半日もあれば済んだのです。今回もそんな感じかと思っていたのですが、結局病院を出たのは17:50頃。1日仕事になりました。私たちは何度も入院の手続きをしているわけですが、父はどんどん年をとって、以前とは同じようには行かなくなっていたのです。そこを見逃していました。誤嚥性肺炎で、一年おきに入院していて、今回が3回目なのですが、今回はとても回復に時間が掛かっています。ついでに脳梗塞まで発症する始末。年をとればそれだけ体力も回復力と落ちるわけで、以前と同じように考えてはいけないなと思いました。

確かに父は、世間一般からすれば、はるかに長生きしています。それを当たり前のように考えていたのは盲点でした。今回、医師から言われたのは、「もうこういう年ですから、良くならない場合もあります。途中で亡くなる事もあるので、その時どうするかを考えておいてください」との事。専門の病院に入れば良くなるとばかり思っていましたが、そうならない事もあると、心しなくては。

そうは言っても、野望はきちんと自分の口で食べられるようになり、ホームに戻る事です。

転院してやれやれ、ではなく、父の入院第2章が始まったばかりなのです。少しでも野望が達成できるよう、家族でなんとか頑張ろうと思います。

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📷とりあえずランチに近所の和食店へ。コスパの良いランチセットを頂きました。