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麒麟は来たのか?大河ドラマ「麒麟がくる」最終回

今日は建国記念日でお休みでした。のんびり出来たお休みは有り難いです。

 

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7日(日)についに大河ドラマ麒麟がくる」が最終回でした。

 

明智光秀を描いたこのドラマを、私は面白く見ました。

明智光秀と言うと、本能寺の変の後、どの様な運命を辿るのか、日本全国的に分かっているわけですが、今までマイナスイメージが強かった明智光秀の来し方行く末を描き出し、なぜ戦国時代最大のミステリーと言われる本能寺の変を起こしたのか、なかなか見所のある面白いドラマになっていました。

明智光秀の生涯の前半部分は殆ど資料がないという事ですので、脚本家の腕の見せ所だったでしょう。結果、一本スジの通った明智光秀という人物を描き出す事に成功していたと思います。

明智光秀にとっては「麒麟を呼べる人」であれば、将軍でも信長でも良かったのではないかと思うのです。光秀はずっと平和な世の中に現れる麒麟を呼べる人物を探していて、「あっ、この人なら麒麟を呼べるかもしれない」と思うと肩入れして、その人物を補佐し引き立て、なんとか平和な世の中にしたいと画策するわけですが、初めは「世の中を平和に」「潰されない大きな国を作る」と志を掲げても状況によりいつのまにか事態が変わり人心も変わってしまうのがこの人の世。この人ならば、と思っていたのに期待を裏切られるわけです。

本能寺の変は裏切りの物語とよく言われる訳ですが、今回の「麒麟がくる」では、むしろ裏切ったのは信長の方で、彼は光秀の平和な世を作ると言う理想を見事に裏切った訳です。

 

一方、信長の側から見ると、光秀に対するラブコールを送り続けながら、一時は同じ夢を見た仲なのに、将軍の方を見たり、天皇の方を見たりしている光秀に、「可愛さ余って憎さ百倍」と言ったところでしょうか。信長は秀吉の様に100パーセント自分の方を向いている人間が好きなのに、光秀にとって信長は多くいる平和を作れるかもしれない候補者の一人。もっとも秀吉は信長一筋と見せて、その後を考えていたんだろうとも思えます。

この作品で、早くから徳川家康が登場していたのも、光秀がその後を託す事になるからでしょうか。光秀は麒麟を呼べなかったものの、バトンを渡した家康が麒麟を呼ぶ事になりました。血で血を洗う戦国時代を終わらせて、平和な時代を築いた徳川家康は、「麒麟を呼べる人」だったわけです。

歴史的には「明智光秀の三日殿下」と言われる出来事も、まったく無駄ではなく、次の時代を用意する為の契機になっていたんだと思います。

 

戦国時代を描いたドラマの多くが、信長・秀吉・家康を主人公に据えたものですが、それは為政者による勝者の歴史で、為政者に都合よく書かれているはずです。しかし、歴史は為政者の施策や政治だけで成り立っているわけではなく、市井に暮らす名もなき庶民の生活があってこそ。多くの為政者と対面しながら、また歴史の反転の最中に身を置きながらも、下々の人々、つましく暮らす庶民との接点が多かったこのドラマは、今までとは違った戦国時代を見せてくれました。新しいその時代へのアプローチが新鮮でした。

 

スタートから帰蝶役の女優さんが逮捕されて、急遽代役を立てて撮り直したり、新型コロナウィルスの影響で撮影が延期される事で放送が中断されたり、過酷な中制作され放送されたドラマでしたが、内容は興味深く面白い仕上がりだったと思います。

1年間楽しませていただいて、私は満足しています。