ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

なんでもない秋の日の楽しみ

今日は久しぶりにのんびりしたな、という1日でした。
 
とにかく、家に居て洗濯したり、撮り溜めたドラマを見たり、図書館に行ったりというのは、ある種理想的な休日です。流行の場所に出かけたり、お買い物をしたりも確かに楽しいのですが、こうなんにも無いお休みもまた、心穏やかで楽しいものです。
 
先日、昭和の歌姫、島倉千代子さんが亡くなりましたが、島倉さんの大ヒット曲に「人生いろいろ」という曲があって、私自身、島倉千代子という歌手を知ったのはこの曲からなのです。「人生いろいろ」という曲の歌詞に、次のような一説があります。
 
ねえ可笑しいでしょ 若い頃
ねえこっけいでしょ 若い頃
笑い話に涙がいっぱい
涙の中に若さがいっぱい
 
こういう歌詞を歌えるというのはある程度年齢がいかないと歌えないわけで、これを聞いて「うんうん」と分かるのも、ある程度の年齢にならないと分からないのです。若い頃、例えば、10代や20代の頃は、多分誰でも、色々なことに貪欲で、色々手を出して失敗した苦い記憶があでしょう。端から見たら、またある程度の年配になってから振り返ってみたら、そのじたばたぶりたるや滑稽に見えることでしょう。でも、本人はものすごく真剣にやっていて、その姿が滑稽であるとともにある種の哀しさもあるでしょう。若いって、そういうことだなと思いますし、そう思えるようになっているということは、もう若くないということなんです。
 
さらに、この歌の2番ではこう歌っています。
 
いまかがやくのよ私たち
いま飛び立つのよ私たち
笑い話に希望がいっぱい
希望の中に若さがいっぱい
 
そうなんですよ。実年齢は若くなくても希望を持っている人の心は若いのです。
 
日本という国は、若さを必要以上に重要視している国だなと思います。それって、とても不自由だと思うし、生きていくうえで、いらない努力や差別や不安要素すらあるでしょう。人間というのは不思議なもので、実年齢が一緒の人でも固体別に見た目年齢や精神年齢、心や頭、魂の柔らかさが違うので、総体的に年齢が違うものだと考えています。それを十派一からげで、実年齢だけで判断するのはナンセンスであり、危険なことです。
 
この頃つぐつく思うのですが、年をとったからといって別に不幸せではありません。今と10代、20代と比べた時に、特に10代、20代の方が幸せだったということもありません。よく人の一生を四季に例えますが、春は楽しく夏も楽しく、秋には秋の楽しさが、冬には冬の喜びがあるものです。
 
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特別でない何もない休日を満喫できるのも、もう決して若くない、いまの年頃になったからのものだと思います。それでも70歳や80歳や、いわんや100歳から見れば、おばさんと呼ばれる年頃なんてまだひよっ子も同然でしょう。さぞじたばたして見えることでしょう。でも、だからこそ、今この秋の日を楽しんで過ごしたいと思います。
 
 
本庄総合公園の銀杏並木。11月17日に撮影。