ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

落語「真景累ケ淵」で涼む

落語の演目に怪談話があるので、何かこの季節聞けるものは無いかしらと調べたところ、ありました、ありました。国立演芸場にて本日より出演の桂 歌丸師匠による「三遊亭圓朝 作 語り直して真景累ケ淵」より「勘蔵の死」を見に行ってきました。
 
イメージ 1
本日8月11日は三遊亭圓朝師匠の命日だそうで、本日も午前中、谷中の全生庵で法要があったのだとか。先日幽霊画を見に行ったばかりの全生庵です。そして、「真景累ケ淵」は圓朝師匠の作なんだそうです。
 
この「真景累ケ淵」は長いお話で、とても一度に語り終えることが出来ないのだとか。そこで、大抵ひとつのパートを落語では演じるそうなのです。桂 歌丸師匠は、ここ数年毎年8月の中席に「真景累ケ淵」を演じているそうなのですが、7つのパートに分けているらしいのです。そこで今年は中席の前半に「勘蔵の死」を後半に「お累の自害」をやるそうです。そして、来年で一端完成を見るらしいです。
 
この怪談は人間関係が複雑で、お話も複雑です。事前にあらすじだけでも当たっていけば良かったのですが、すごく愉しみにしていた割りに予習をしていくのを怠りました。
 
 
●あらすじ
煙草屋の新吉と富本の師匠、豊志賀は年が離れているがいい仲になる。豊志賀は鍼医の娘だった。豊志賀は、稽古に通ってくる若いお久と新吉の仲を疑い、嫉妬から顔にできものが出来てしまう。それが大きくなりまるであざのような醜さになってしまう。豊志賀は「新吉の妻を7人まで呪い殺す」と遺書を書き、自害してしまう。
 
豊志賀の墓参りに行き、お久と出くわした新吉は、お久と駆け落ちすることに。二人はお久の実家のある羽生村を目指す。鬼怒川を越えたあたりで、土手に落ちていた鎌を踏んでしまい、足に怪我をしてしまうお久。そのお久の手当てをする新吉。その時、お久の顔が自害した豊志賀に見え、手にした鎌でお久を切り殺してしまう。
 
その現場を目撃していたのが、甚蔵。女を殺して大金わ取ったと勘違いして、新吉に詰め寄る。もめている時に落雷があり、新吉は難を逃れて人家へ逃れるが、その家は甚蔵の家だった。甚蔵は、新吉が金を持っていると思い込んでいるので、家に置いてやることにする。だが、新吉が金を持っていないことを知りがっかり。
 
お久の葬儀が行われ、せめて墓参りにでもと出かけた新吉をお累が見初める。お累はお久の従姉妹であった。新吉とお累の縁談が持ち上がり、新吉は結婚することに。しかし、祝言の後、新吉はお累の顔の変わりように驚く。お累はうっかりと煮えたぎった鍋の湯を顔からかぶってしまい、火傷を負っていた。新吉は豊志賀の因縁を感じ、改心してお累を大事にしようとする。しばらくしてお累が妊娠する。
 
煙草屋の勘蔵が危篤であるという知らせに、新吉は江戸に戻る。そこで勘蔵が語る新吉の身の上話。
 
事の発端は鍼医の宗悦から借金をしていた小普請組、深見新左衛門が宗悦を切り殺してしまったことに始まる。深見は家来の三右衛門に死体を捨てさせる。その後、呼んだ流しの按摩が殺した宗悦に見え、切り殺してしまうが、なんと殺してしまったのは病気の妻だった。隣家の騒動から深見は殺され、お家は改易になる。
深見には息子が二人いた。門番の勘蔵は幼い次男の新吉を連れて下谷大門町へ移り、それ以降煙草屋として新吉を養う。三右衛門は故郷の羽生に帰る。実は、三右衛門はお累の父親だった。
 
江戸から帰る新吉は籠を頼むが、何度も小塚原に出てしまって、目的地にたどり着けない。そこで新五郎と遭遇する。新五郎は深見の長男であり、質屋の女中お園を殺したことから獄門にかかっていた。新五郎に殺されそうになった新吉は、そこで目が覚める。そこは小塚原で獄門の札に新五郎の凶状が書かれていた。お園は豊志賀の妹だった。
 
やがて月が満ちて、お累が子供を産んだ。その子供の顔が、獄門についた兄、新五郎にそっくりであることに旋律を覚える新吉だった。
 
 
 
 
とりあえず、「お累の自害」の前までのあらすじです。物語はさらに悲惨が悲惨を呼んで続いていくのです。
 
まぁ、とにかく悲惨なお話ですね。「廻る因果は糸車」ならぬ「廻る因果は鎌」と言ったところでしょうか。とにかく入り組んでいるお話で、全体像が判らないと、味わいだのなんだのと言っていられる余裕がありません。
 
昨年も来たらしい二人連れの会話によると、昨年は段階的に照明を落としていったよね、とのこと。今年は、割と控えめな照明になっていました。
 
顔がおできで崩れてしまうとか、熱湯をかぶって崩れてしまうとか、それだけでも怖いですよね。あとは、怪談物でよくあるように、○○だと思って切りかかったら、実は別人でした、というパターン。それでも殺人ですからね。これも怖いですよね。この辺りは、タイトルになった「シンケイ」つまり「神経」による作用ということなんでしょうか。後ろ暗いことをしているから、神経の作用によって見たくない相手を見てしまうということでしょうか。何度通っても目的地にたどり着けない、という怪異も怖いですよね。しかも刑場に出てしまうとは。
 
「真景累ケ淵」の怖さは、深見新左衛門という愚劣な侍の家族を中心に、何世代にも渡って殺しの連鎖が続くことでするもう、それは呪いとしか思えません。最後どうなるのか興味が尽きません。
 
来年、また行きたいですね。だって、事の次第の謎解きが来年あるらしいので、そこを是非聞きたいものです。
 
因みに、この演目、ここ数年では最後まで語り終えたのは桂歌丸師匠だけらしいです。他の落語家の方が、「怪談やってる場合じゃない、自分が先に行っちゃいそうだよ」と言っていたけれど、とにかく歌丸師匠、元気で頑張って欲しいものです。今回、私は初生歌丸だったのですが、テレビで見るよりもっと痩せていました。
 
それにしても、とても気になる演目です。近年、映画化もされていることを後で知りました。「豊志賀の死」を中心にした構成だそうです。機会があれば、そちらも見てみたいです。