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延命拒否は緩慢な自殺か ?

昨日、本日で、伯父の納棺、お通夜、火葬、葬儀、初七日法要に参加してきました。くたびれました。たいした事はやっていないのですが、帰宅してどっと疲れました。
 
伯父は今年の8月で91歳だったそうです。母の上から2番目の兄でした。昨年末に伯父より1歳上の1番目の伯父が亡くなりました。あと1週間程で92歳になろうという高齢でしたが、亡くなるまで食事も出来たし、歩行器を使ってはいたものの自分で歩いてトイレも行っていたとのことで、大往生という感がありました。
 
上から2番目の伯父は、1番目の伯父のお葬式の日にディケアサービスに行っていて、転んでしまったのがきっかけで右大腿骨骨折をしてしまいすぐに入院。調べたところ肺に異常があるということで、骨折の手術に耐えられないのではということになり、手術を受けられず、自然に骨が付くのを待つことになったのだそうです。伯父は、延命措置を拒否していたのだそうです。
 
最初その話を聞いた時、何故骨折で入院したのに延命拒否 ? と思って居たのですが、肺に異常があったということで延命拒否だったようです。もし、伯父が延命拒否をしていなかった場合、伯父は少しは快復したのでしょうか ? もちろん本人の意思は大切ですが、もし、延命拒否をしていなければ、伯父はまだ生きていたのでは・・・、もしかしたら、快復して別の施設に移って、余生を送れたのでは、という気がして仕方ありません。
 
それと言うのも、火葬したあとの伯父の骨の立派さに驚いたからです。長く病気にかかっていた人の骨は黒ずんでいるとよく言いますが、病死だった母の骨はくすんで色が付いていました。90歳だった伯父の骨の量の多さ、原型を残したままの大きな骨のパーツの数々、そして色の白さに驚きました。ものすごく健康な人の骨、という感じなのです。しかも、骨密度が高いようでびっしりした感があり、形も大きいまま残っていました。参列者が箸で挟んでお骨を骨壷に納める儀式の後、係りの方が残った骨を骨壷に納めてくれるのですが、途中2度、「骨の量が多いため、崩させていただいて宜しいでしょうか ? 」との確認があり、崩して納めた後、一番上に喉仏、あごの骨、頬の骨、眼の上の骨、最後に頭の天辺の骨を乗せていきます。そして、骨壷の蓋を閉めるのですが、頭の天辺の骨を乗せた状態で、骨壷から少し浮き上がっているような程で、それでもどうにか蓋を閉めました。それだけ頑丈な骨を有していた伯父が、入院して約3ヶ月であっと言う間に衰えて死んでしまったというのは、不思議と言えば不思議です。
 
それで、フと思ったのですが、伯父は延命拒否をすることで緩慢な自殺をしたのではないか、ということです。理由はあくまでも私の推測なのですが、まず、約2年半前に妻である伯母が先に亡くなりました。伯母が生きていた頃は、傍から見ても奥さん思いの亭主ではなかったようなのですが、亡くなってから、とても寂しがっていたようだと伯父の娘たちが言っていました。そして、なんと観音様をお寺に奉納したのだそうです。そして、1歳上の兄も約3ヶ月前に亡くなり、気持ちがガックリ来たのかもしれません。2人は近所に住んでいたし、年も近かったので、兄弟の死は、いくら大往生だと言っても、やはり寂しかったのではと思います。そして、なにより妻亡き後、一人息子と喧嘩して関係が決裂したままであるということに、希望が持てなかったのではと思います。伯母が亡くなった時、お墓を新しくしたのですが、他のお墓の2件分くらいある巨大なお墓なのです。いったい何人はいるのかしら、と思ったほど。伯父としては、ゆくゆくは息子の家族も入れるようにということで大きなお墓を立てたのかもしれません。娘たちは皆、結婚して姓が変わっているので、そのお墓に入る事は無いでしょうから、やはり一人息子の事を考えたとしか思えません。理由は何かは、周りには不明なのですが、伯母の新盆の頃にはもう喧嘩してしまった後だったようで、それ以降息子は伯父に会いに来る事も、仲直りすることもなかったようです。今回も、伯父が亡くなっても、彼は姿を現しませんでした。その辺りの事が混在して、生きていく希望が失われていたのかな、と推測します。伯父は、自分が家に住まなくなると誰も面倒が見られないからと、元気で動けていたうちに、神棚の上を全て整理したのだとかで、自宅の神棚はすっかり空になっていました。
 
それでも、伯父の看病に毎日通っていた従姉妹が言うには、「来年も桜が見られるかな・・・」と言っていたそうです。伯父が入院していた部屋は桜の枝か間近に見えるので、今年は最後のお花見が出来たのかもしれません。
 
寝たきりになってまで生きたくない、ということから延命拒否は成されるのでしょうし、私自身も延命拒否派なので気持ちは判るのです。そして本人の意思が現代の医療の現場では尊重されるべきことであるのも、賛成ではあるのです。ただ、あの骨の状態を見てしまったら、いくら90歳まで生きましたと言われても、「大往生だった」とは思えないのです。伯父の延命拒否は、まるで緩慢な自殺をしたように見えて仕方ありません。
 
伯父は、あっけなく逝ってしまいましたが、伯父と喧嘩別れしてしまった息子は、今後辛くなったりしないのでしょうか ? 映画で、喧嘩別れしたままお父さんが亡くなってしまって、ずっと悔やんでいる息子の話というのは結構ありますし、やはり悔やむ人が多いと思います。「伯父さんも90を過ぎているんだから、いつ逝っちゃうとも限らないし、喧嘩しちゃったとしても、ここは息子が大人になって、今のうちに仲直りしておいた方がいいと思うよ」と私と妹は伯父の見舞いに行った帰り道に話し合ったりしたのですが、余計なおせっかいであることは分かっています。
 
周りの人々の話では、伯父は丈夫で働き者だった、病気一つしなかった、器用でどんな仕事もこなしたということでした。今、思い肉体を脱ぎ捨てて、その魂は軽やかに宙を舞っているのかもしれません。
 
伯父さん、長い人生本当にお疲れ様でした。もう自由になっていいですよ。