ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

伯母が亡くなりました

3月29日・30日は伯母のお通夜・葬儀に父の代理で行ってきました。
母方の長兄の奥さんが亡くなりました。87歳だったので、大往生、ということになるのでしょうか。
 
伯母は4年弱、パーキンソン病で入院していました。ほとんど寝たきりだったようです。でも、3年前に母と見舞いに行った時とうって変わって、栄養が行き届いていた様で、ふっくらとした死に顔でした。
 
3年前、ちょうど今くらいの時期に母と見舞いに行きました。当時、父がくも膜下出血の手術後のリハビリで入院中で、回復期の途中にある父は、まだ寝たきりで管だらけでした。その日は、病院の近くで持参のおだんごとペットボトルのお茶で簡単なお花見をし、父の見舞いに行きました。その後「近くの病院に義姉さんが入院しているので見舞いに行く」と母が言うので、病院のはしごをしました。
 
伯母はカーテンで仕切られているベッドで、管だらけになって、その管を取らないように両手に鍋つかみの親戚のような医療用の手袋を着けられていました。もともと痩せていた伯母は、もっと痩せてしまい、骨と皮だけというように見えました。
母が「義姉さん、あきこが来たよ」と呼びかけると、誰が来たのか判ったおばの顔がパッと輝きました。本当に電燈が燈ったようにパッと輝いたのです。「あきちゃん」と細い声で母の名前を呼びました。母は末っ子だったので、他の兄弟よりも義姉と一緒に暮らしていた時期が長かったのでしょう。母が見舞いに行ったことを喜んでくれているようでした。
なんら話ができるわけでもないものの、10分ほど居たでしょうか。4人部屋のカーテンの向こうでは「帰る~、帰る~」とひたすらおじいさんが叫んでいました。伯母を見ているのも辛いけれど、バックに流れる帰りたいコールはやりきれない気分にさせます。病院って、辛い所です。
「義姉さん、また来るからね」と母が言うと、伯母は「うんうん」とうなずいたような感じでした。
 
病院の敷地にきれいに桜が咲いていました。母がぼそっと「地獄めぐり」と言ったのが、なんだか病院で管だらけになっている父や伯母の様子を言い当てていて、また、帰りたいのに帰れない病人の姿を思い描かせ、妙にぴったりの表現に、可笑しみすら感じました。
 
そして、「また来るからね」と言った母の方が、先にあの世へ行ってしまいました。
 
伯母が亡くなったと聞いた時に、ふとイメージしてしまったのです。あの世で、母がお花見弁当の準備をしているのです。伯母があちら側へたどり着くと、「義姉さん、来た、来た。これから皆でお花見にいくところなんだよ。間に合ってよかったね」と言ってにこにこと出迎えている母。先にあちらへ行っている、伯父や半年前に亡くなった次兄の奥さんもきっとにこにことお出迎えしていそうです。
その話をしたら、妹が「お母さんなら、ぼたもちとか喜んで作ってそうだよね」と言っていました。私たち姉妹の頭の中では、亡くなった伯母は、あちら側のお花見一行に待たれているのです。
 
さすがに長兄の奥さんのお葬式だけあって、親戚一同会したという感がありました。この家のあたりでは、葬式に連れ合いは出ないのですが、伯父は現在入院中で、どっちみち葬儀には参加できないのです。お花も多く、弔問客も多く、豪華な感じのお葬式でした。
半年前と同じお寺のお坊さんがいらしたと思うのですが、今回は御住職と副住職とお2人見えまして、なんとお経のデュエット。これは初めてです。毎回、お葬式や法要では新体験。このところ法要が多く、すっかりお焼香にもなれ、お辞儀も上達してしまいました。
 
伯母は若い頃から体が弱くて、何度も入院していたようです。私が知っている伯母は、いつも痩せていました。そして、農家の主婦らしく、日焼けしていました。伯母の遺影は77歳のお祝いに市役所で撮影してくれたという写真なのですが、穏やかな笑みを浮かべているよい写真です。棺に花と共に収まった伯母の顔を見て、こんなに丸々とした伯母の顔を見るのは初めてだし、納棺師の方の上手なお化粧で、きれいな顔の色に別人のように見えました。
 
夫である伯父は90歳。現在、入院中ですが、だんだん回復しているとのことで、伯母が亡くなってがっくりこなければいいなと、心配です。脳梗塞で入院後、自宅で養生していた時は、伯父が伯母の食事の支度をしていたそうです。同居している息子の嫁が、いっさいかまってくれなかったらしく、伯父が世話をしていたようなのです。長く連れ添った配偶者を失うのはつらいことです。私の能天気な父ですら、母がなくなった後、しばらくはがっくりきていた位です。
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伯母さん、お疲れ様でした。安らかに。あちら側では、みんなが待ってますよ。
 
 
 伯母のお葬式でいただいたお花の一部。