ama-ama Life

甘い生活を目指しています。

人質の朗読会  小川洋子・作

  小川洋子 作
 
●あらすじ
とある国を旅行中のツアー参加者7名と添乗員1名、現地バス運転手の計9名が遺跡観光を終えて首都に向かう岐路、反政府ゲリラの襲撃を受け、運転手を除く8人がバスごと拉致された。事件は膠着状態のままだったが、人質に病人が出て赤十字の関係者が治療に呼ばれた際に盗聴器がアジトに仕掛けられる。事態が急転換し、軍と警察の特殊部隊がアジトに強行突入し、銃撃戦のあげく犯人グループの5人を全員銃殺したものの、犯人の仕掛けたダイナマイトで人質になっていた8人全員が死亡した。
 
盗聴器から録音されたテープに人質たちの朗読会の様子が残されていた。何でもいいから一つ思い出を書いて朗読し合おう。いつ開放されるのかという未来ではなく、自分の中に仕舞われている過去、未来がどうであろうと決して損なわれない過去について書いて朗読しよう。こうして朗読会が始まった。観客は人質たち、見張り役の犯人、作戦本部でヘッドホンを耳に当てる男だった。
 
 
 
 
本当に、つくづくこの人はうまい。これは短編集です。でもただ、短編集ってわけではなくて、人質たちが朗読した話として第一夜から第八夜まで、最後の第九夜は作戦本部でヘッドホンを耳に当てていた男の作ということになっている。
 
過去について書いたものを朗読しよう、という朗読会のコンセプトが先に紹介され、人質たちの運命も語られ、全員すでに故人であることが判った状態で一作ごとに読み進むことになるのですが、しみじみする。人質だけに未来は犯人しだいだったり、助けに来てくれる軍だったり警察だったりに左右される身の上だけど、過去についてはその人個人のものだから、他に犯されることも損なわれることもないわけで、まずそのコンセプトが人質の身の上とあいまってなんとも上手。そして、もちろんこの人質だけではなくて、過去は万人にとってその人だけのものだということです。どんな権力や暴力にも犯されないものが個人の過去ということです。
 
この人の作品に出てくる登場人物は、どちらかというとひつそりとして地味で、お行儀の良い人たちで、強烈な自己主張なんてしないタイプです。業突く張りのばあさんも、風変わりなじいさんも、モジモジした地味な年配の娘さんも、それでもこの人の筆にかかるとなんともいとおしい人たちになってしまう。人の外側ではなくて、内側の一瞬の輝きやわずかなきらめきを逃すことなく描き出す。日常生活はパッとしないことの連続、でもあるちょっとしたことがそれまでとそれからのその人の内側を変えてしまう。そういった過去のお話が一つずつ、おずおずと遠慮がちに朗読されていく様を想像できる。そして、一つの話の後に、それを朗読した人のその時の職業・年齢・なぜそのツアーに参加していたかがサラリと添えられることで、物語と相互に呼び合う仕掛けになっているのです。たった一行なのに、あぁ、そうなのか、なるほどとうなずかせてしまう一行。
 
最後の章は、作戦本部でこの朗読会をヘッドホンで聞いていた兵士。この章は泣きますよ。この朗読会の参加者の運命を知っている読者は、この兵士の昔話と、この兵士がどうしてこうも日本人の人質たちに気持ちを寄せたのか、語られている言葉はわからないまでも、ヘッドホンで一語も聞き漏らすまいとしていたのか、あぁ、この人の過去にはこんな思い出があったのか、ということが判ると納得できるし、人間の偉大さすら感じさせられる。
そして、その思い出に語られるハキリアリたちと、人質たちの姿が重なり涙を誘います。ハキリアリの姿は、人質のみならず、まるで日本人そのもののようにも感じられて、なおさら切ないのです。
 
小川洋子という人は、長編もいいけれど、短編も巧い作家で、この人ならではの小説世界がたまらなく良くて大好きです。この作品の中で私が好きなのは「ハキリアリ」「冬眠中のヤマネ」「やまびこビスケット」かしら。一遍一遍がいくらでもそこからお話が作れそうなのが、いいですよね。