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ミス・リードとロザムンド・ピルチャーを読む試み

7月はミス・リードとロザムンド・ピルチャーを読むぞ!と決めて過ごした7月。

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実際にはミス・リードの「フェアウエーカー・クロニクル」の初期3部作である「村の学校」「村の日記」「村のあらし」を読了。スタートの「村の学校」がいつも行っている図書館になく、市内の別の図書館から取り寄せてもらった為、スタート自体が遅れましたが、一旦読み始めたら面白くてどんどん3冊を読んでしまいました。

初期3部作は装丁が「ぐりとぐら」の絵を描かれている山脇百合子さんの絵で、イギリス南部の田舎フェアエーカーの景色です。1冊目の「村の学校」は春、「村の日記」は秋、「村のあらし」は夏です。「村の日記」でやって来たミス・リードの飼い猫ティビーが「村の日記」と「村のあらし」には描き込まれています。その後のシリーズでは装丁が違うので、初期3部作が評判良かったのでその後続々と刊行されたのかなと想像します。

引き続きどんどん読んでいこうと思っているのですが、このシリーズは読む順番がよく分からず、今回はやはり市内の別の図書館から取り寄せてもらった「エミリー先生」からとりあえず読むつもりです。

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ロザムンド・ピルチャーの方は、きっかけとしてまず「シェルシーカーズ」。7月の終わりになってなんとか上巻、8月5日に下巻を読み終わりました。内容を知らずに読んだのですが、読みやすくあっという間の読書体験でした。流石にこの作品は世界的なベストセラーだったらしく面白かった。軽い語り口ながら、世代間のギャップだったり個人の価値観だったり、家族の形だったり、色々と家族について、生き方について考えされてくれます。

「シェルシーカーズ(貝を探す子どもたち)」とは作中に出てくる画家ロレンス・スターンの作品で、娘のペネラピが父ロレンスから結婚のお祝いに貰い、どこにも公開していない絵です。ロレンス・スターンの作品は戦後評価が下がった時期を経て、1984年には再評価され高値が付いているという設定です。ペネラピが所有しているこの絵と、未完成のパネル、14点の小型作品を巡って話は進んでいきます。「シェルシーカーズ」という絵に描かれている2人の女の子と1人の男の子はペネラピの子供たちナンシー、オリビィア、ノエルと重なります。海辺が描かれた「シェルシーカーズ」の中で、三人の子どもたちは小さなバケツの中を真剣に覗き込んでいます。これは各自の宝物を探す話です。各自がバケツの中に持っている収穫物をどう感じるか。まだ他に新しい貝を探すのか。「女の子の1人は私なの」とペネラピがこの絵を人に説明する時に必ず付け加えます。父ロレンスとフランス人の母ソフィーに愛されたペネラピにとって、「シェルシーカーズ」はとっておきの絵です。

冬の時代をイメージさせるロンドンの大きな家、人生の良い事が色々詰まったコーンワル地方の避暑地ポースケリスの対比も鮮やか。「シェルシーカーズ」に描かれているのはポースケリスの海で、ペネラピにとっての心の故郷と言える大切は場所で、ペネラピは病気をして、亡くなる前に再びポースケリスを訪れたいと思っているのです。

若い頃のうっかりしてしまったアンブローズとの結婚が戦後のペネラピの人生に暗い影を落とします。戦時中に出会うべくして出会った人生でたった一度の恋。離婚して再婚する事も考えていたのに、相手のリチャードは戦死。戦後には愛の無い薄っぺらな夫アンブローズの元に戻ることになり、実質的には初めての結婚生活を送る事になるものの、家に金を入れないばかりか借金もあるアンブローズ。生活費だけでなくアンブローズの借金の清算の為に愛する父母が残してくれた財産を売却したペネラピをアンブローズは別の資産家の娘と結婚する為、三人の子どもと共に放り出すのですが、これでやっとペネラピは解放され、自分の人生を歩めるようになります。ペネラピの独立心が強いのも、家計のやりくりを全て自分で賄っていたからでしょう。夫だったアンブローズ、長女ナンシー、長男ノエル、アンブローズの母はよく似ていて、世間体を気にしたり物質的だったり。美しいものをそのままに味わったり、物事の本質を愛でたりする事がない。ペネラピとは正反対の人たち。ペネラピはアンブローズとの結婚で出来た家族より、戦時中のカーン・コテージに疎開して来たドリスたちや、ロンドンの大きな家の下宿人たちとの方が本当の家族のような交流があり、家族とは血の繋がりではない事を暗示しています。だからこその絵の行方です。

一人の老女の物語ながら、その世界は鮮やかで美しい思い出、現在のつましいながらも好きな事をしている楽しさ、かつて愛した人たち、次の世代を期待させてくれる若者たち、と豊かなのです。

ピルチャーの筆は景色の描写や家具や庭の描写にも冴えがあり、品物を描写するにもそこに纏わる物語を描き出します。リチャードとの初めてのディナーに着た赤いドレスが、ペネラピの死後、タンスの奥から出てくるシーンには涙が出ます。そのドレスを着て胸を弾ませた若い日のペネラピ、リチャードの戦死によりそのドレスはタンスの奥に仕舞いこまれたのでしょう。わずかな期間の楽しかった思い出をしまい込み、冬の時代を長く生きる事になったペネラピ。そのドレスがタンスの奥から発掘された時の「ハンガーにしょぼんと吊るされていた」と言う一文は、その真相を知っている読者の胸をかきむしる。娘のオリビィアは廃棄処分する様に指示。ペネラピがどこに行くにも着ていた紺色のケープも、遺品整理で登場し、こちらは屋敷の手伝いに来てくれていたミセス・プラケットに譲られ、大切に持ち帰られる。

ペネラピの遺産は結構な金額になったが、生前のペネラピは贅沢する事はなく、切り詰めた生活をしており、元々着る物に頓着しなかったので、破れたところが丁寧に繕われた古い衣類しか出てこないところも、とてもペネラピ的で愛する人柄。お金があるからと贅沢に走るのではなく、自分の好きな物を長く大切に扱う姿勢が本当の贅沢だと思うのです。

 

映像化も2度されているようで、1度目は映画でアンジェラ・ランズベリーが主演、2度目はテレビドラマのようでヴァネッサ・レッドクレイブ主演です。本日はネットでアンジェラ・ランズベリー主演で映画化されたバージョンを見ました。この映画は完全な失敗作で後半ストーリー自体が変えられています。主演のアンジェラ・ランズベリー以外は知っている俳優も出ていなかったし、登場人物の造形があまりにもイメージと合わず、原作の良さが損なわれていました。プロデュサーの問題なのか監督が悪いのか、シナリオなのか、一体どうしたのかという出来です。クリスティものの映画で過去に見たことがあるアンジェラ・ランズベリーのペネラピ役は中々似合っていました。原作のペネラピは長身ということで、アンジェラ・ランズベリーが割と背が高いらしいのに驚きました。ドラマ版のヴァネッサ・レッドクレイブの方がイメージ通りかなと思います。戦時中の描写も残念で、あれではあまりにも通り一遍すぎるし、ペネラピはあんな当時の流行りの髪型をしていないよなぁと思いながら見ました。映画の若き日のペネラピはあまりにも薄っぺらい女性に見えます。

この小説は現代的で洗練されたオリビィアの生活圏や豊かな自然に囲まれた田舎の生活とペネラピが精魂込めて作っている庭、上辺だけのノエルの狭いアパートメント、権威とミエのナンシーの広大な屋敷、戦時中のロンドンの大きな家や海辺のカーン・コテージ、イビサ島など、映像映えしそうな舞台がたくさん出て来て、想像を膨らませるのも楽しいのです。

現代の日本でこの作品を読んでも、ちっとも古さは感じさせず、戦時中の生活の描写は日本と近寄っていて、イギリスでも食料や衣類の配給や配給切符があったのだと初めて知りました。そんな制約のある中で想像力を駆使して生き延びて行く逞しい姿、疎開して来た子持ちの女性ドリスとの友情、自由で先進的な両親とその友人達など、色々な読みどころと読み方が出来る小説で、人生の色々が読み取れ心を打ちます。日本でももっと多くの人に読んでもらいたい作品です。

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7月だけで終わらなかったので、引き続き、ミス・リードの「フェアエーカー・クロニクル」とロザムンド・ピルチャー作品を8月も読んでいこうと思っています。